時間と時計

時間について考えていた。
いったい何なのかしら、時間って?

時計についてならわかる。
時刻についてもわかる。

時計と時刻の感覚は、私の時間の感覚とはあまりマッチしていない。
ちょっと10分だけ作業しようと思い、気がついたら1時間経っていたなんてことはざらにある。
本人の感覚としては10分だ。
しかし、時計はそうではない、という。
 

時間と時計が合わない、とたまに感じる。
時計は、融通が利かなさすぎる。
時間は、融通が利く。
伸びたり縮んだりする。

それぞれの時間が違うので、時計は、そもそも違うものを持つ人達が集団が共に生きるためのものに過ぎないのかもね、と感じたりする。

実際、予定のない休みの日、私は時計を必要とはしない。
だれかや社会と関わらない限り、時計は必要ない。


時間は、社会や他人と関わらずとも関係してくる。

それで、ふと、時や時間に関わる名言やことわざをさらってみようという気になり、調べたら面白いことがわかった。

ことわざは、そうね〜と感じるものが多かった。

時間に関わる偉人や成功者の名言は多くあったが、彼らは、それぞれ時間について違う感覚を持っていた。
似ているものもあるが、真逆のこともあった。

成功したり、何かを成し遂げた人が持つ時間感覚や時間との付き合い方はひとつではないということがはっきりわかった。
それは、だれかの真似はできない類のものなのかも。

ただ、それらの人は、はっきり、自分の時間についての意見や自分にとってうまく作用する時間の扱い方を心得ている感じがした。

能動的に時間に関わるというか。


そしてまた、全ての表現はメタファーだった。
物理学での時間について調べたわけではなかったので、その概念や定義はメタファーで語られていた。

時間を語ることは、その人の人生のありようを語ることと似ているのかもねと感じた。



私にとっての時間は、伸びたり縮んだりするもの。
今、今、今、と今を積み重ねるもの。
未来はその積み重なりがまだないところで、未来が今になる時は、積み重なった過去の今が作り上げた何かがそこにある。
でも、その作り上げた何かのサイズは、毎回違う。
同じ長さの時間が過ぎたはずなのに、同じサイズの過去はそこにはない。
過ぎた時間も大きくなったり小さくなったりする。

同時に未来はまだないけれど、それはすでにある。
まるで未来という空間があるみたいな感じ。
それは今とは分離していない。


どうやら、私は、時間を多層的に、空間的に捉えているみたい、、、とわかった。
時計は平面なので、そりゃ時間と時計が合わないと納得した。


けれど、時計は時を刻む。
誰にも平等に。
ある国の1秒は、違う国の3分などということはない。
1秒はどこでも1秒だ。


それに対して、時間は平等じゃないなと思った。


だからこそ、時間をどう扱うかは人生を左右するのだろう。



そして結局、で、時間て何よ?と再び同じ質問がわいて終わった。
理系の頭だったらよかったねえ。
時間の数式だったら、もう少し、話はすっきりしたかもしれない。