環境への好み
人生最初の遊び相手は、男の子だった。
1歳とかそんな頃。
1歳の頃、家の前と斜め向かいには、男の子が1人ずついた。
左横のアパートにも男の子が1人いた。
前には1つ年上の男の子、斜め前と左横には数週間違いで生まれた男の子。
家の前は私道で、親たちが車が入ってこないようにアスファルトを敷かなかったから、そこは砂場と同じだった。
4人の赤ちゃん達は、そこで砂遊びをした。
私の家の庭には、あつらえられたちゃんとした小さな砂場があったが、私はそこではほとんど遊ばず、家の前の、砂埃舞う砂場でみんなと遊んだらしい。
毎日のように、1歳年上の男の子と張り合っては喧嘩して、必ず負けて泣いていたいたらしい。
1歳は2歳には勝てるまい。
3歳くらいになると、私の行動範囲は広がり、近所の子供たちの輪の中に入っていった。
1人で歩いて1分の公園に公園デビューしたのもこの頃らしい。
今はもう見ない光景だが、3歳の子供が1人で公園に行っても、どうということはない時代だった。
その3歳の子供を見張る近所の人が、誰かしらいたからだ。
ブランコから落ちて泣いて帰っても、あらまあ、で終わった。
公園には女の子もいたが、幼稚園に入るまで、私の友達は、ほとんど男の子達だった。
女の子はじっとして遊ぶので、私は、男の子と走り回っている方が性にあった。
幼稚園に入って、女の子の友達ができたが、男の子の友達も増えた。
幼稚園帰り、まず、女の子の友達と遊び、家に帰ると、家まで遊びに来てくれる男の子の友達と遊び、夕方になってその子が帰ると、前の家か斜め向かいの家に行って幼ななじみ達と遊ぶというのが日課だった。
そのあと、母に、今日の出来事を延々と語っていたらしい。
書いてみると、遊んでしかいなかったような日常だ。
割と小さな頃から、親と過ごす時間より、他人と過ごしている時間が長かったようだ。
小学校に入っても、習いごとがある日以外は帰ってきてから夕飯までは、ほぼ家にはいなかった模様。
体力はあまりなかったから、力の限り遊んでは、熱を出して、学校を休むという塩梅になっていた。
その頃、私の中で学校は、人生におけるプライオリティが低かった。
楽しくないわけでもなかったが、そこには、集団で過ごすことの忍耐と給食という苦痛が伴ったからだ。
20人学級にいた3年間はそうは感じておらず、40人学級にいた3年間、その忍耐と苦痛があったから、私の忍耐は20人を超える集団の中にいる時に必要になる忍耐なのかもしれない。
事態は、中学に入って一変し、そのあたりから、私は1人で過ごす時間を好みはじめる。
走るクラブに入ってみたが、つまり陸上部、何が楽しいかさっぱりわからず続かなかった。
今考えれば、走り回って遊ぶのは大好きで、足も速かったのに不思議な感じだ。
このあたりから、友人は、女の子ばかりになり始めた。
そして以降、私は、友達と会うか、仕事があるかではない自由な時間は、家の中でひとりで過ごすことを好む。
ひまだから出歩くというのは、あまりしない。
だが、いったん外に出れば、すごく楽しく、あちこち動き回る。
今は、友人は、男女共にいる。
仕事も男女どちらとも組む。
書き並べると、行動パターンが、12-3歳で大きく変わりはじめていることに気づいた。
まるで別の人のようだ。
12-3歳は脳が発達する時期だろうから。
ホルモンバランスも変わるだろう。
それで、私の体の好みと、頭の好みが違うのかもしれかいなあ、とふと思った。
人生は頭だけで成立しているものでも、体だけで成立しているものでもないから。
体が願うこと、頭(心)が願うこと、その両方を満たしてやれれば一番いいのかもしれない。
そして、ホルモンバランスや脳の状態もそこに絡んでいるとしたら。
好きな環境、好む環境は、ひとつではないかもしれないね、と思った。
それは、変わりゆくものなのだろう。
そして、自分の今の年齢を考え、私は、こういう環境好き!と言い切るのはやめようか、また、ぼちぼち好みが変わりはじめそうな気がすると思った。