仕事について
人が癒しの過程で覚えることと、プラマイゼロまで人生を戻す過程で使うことと、それ以降の過程で使うことは、だいたい似ている。
ただ、ひとつ、決定的に違うことがある。
癒しの過程では、ほとんどのまともな手法は、本人に癒す力があるという大前提の上に成立している。
心の癒しは、内側の話。
セラピー。カウンセリング。
現実的に、人生をプラマイゼロまで戻す時、これは本人でもできるが相当な気合いと根性を必要とし、その人が強いそれらを持たない場合、引っ張り上げるだれか他の人の力を借りる方が早かったりする。
セラピー。コーチング。
この時点では、もはやカウンセリングではない。
ここで、ステージが変わることを、ご本人がはっきり意識できるかどうかで、後が変わるということには、セッションを続けていく間に気がついた。
幸せの形は様々だが、幸せになる、癒しの過程は終わったとはっきり決められるかどうかが後を左右すると気がついた。
スピリチュアルと癒しにはまりこんだ人は、その心地よさに中毒みたいになり、そこに時間がかかることも気がついた。
傷ついたままの方が、都合がいい場合もあるということにも。
(私は、通院している人は基本的にはセッションをお断りするので、書いているのは生きてはいける心の傷の話だ。通院が終わりかけの人は、家族の協力を得られること、家族が私のところに来ることを知っている場合は、引き受けることもある。)
そこから先は、もう心の中の話だけではないから、他人が大きく絡む。
自分の力や自分の知恵だけでは、どうにもならないことが多々発生する。
コーチング。コンサル。
最近、とある事情から、私は自分のセッションについて非常にまじめに考え、自分がやっていることを再検討する必要が起きた。
私は、クライアントさんと数年以上に渡り、長いお付き合いになることが多い。
一番長いクライアントさんは、10年になる。
それが、私が勉強し続けてきた一番の理由で、長いお付き合いが何を意味するかというと、クライアントさんのステージが変わっていく、ということだ。
最初は気づいていなかった。
ほとんどのケースで、最初、クライアントさんはなんらか癒しを必要とする状態で訪れる。
私は、基本的には、クライアントの願いを叶えるのを手伝うためにセッションしているが、その願いに、癒しが関係する状態。
癒されること、楽になることそのものが願いだ。
ただし、癒しを目的に生きている人はいない、癒しは過程にすぎないという考えが私にはあるので、それを最終のアウトカムとは私は考えない。
やがて、長くても数年、早ければ数ヶ月あれば、クライアントさんは、癒されはじめる。
私ががんばるのではない。
クライアントさん自身ががんばる。
セッションを始めた当初、私は自分の役割はそこまでだろうと考えていた。
私が持っていたのは、セラピーとカウンセリングの知識と技術だけだった。
だが、そうではなかった。
やがて人生そのものをなんとかしたいと考え始めたクライアントさんは、まだ、自分のところに来た。
それで、私は、また勉強を始めた。
クライアントさんが成長し始めたので、やむを得なかったというのが、真実だ。
おっと!と私は思った。
私も成長せねばならない。
そして、そこから先の一人一人違う、非常に個性的な過程に魅了された。
癒しの過程も個性的ではあるが、そこにはある程度の型が使えた。
しかし、そこから先には型がなかった。
そして、技法だけ、セオリーだけでは対応できないことも多々ある。
アドリブでその人のためだけに、その場で思いつくやり方が必要な場合もある。
そして、そこから先でも、癒しが必要な場面も登場する。
しかし、その時点では、クライアントさんは癒し方を覚えているから、そこは最初ほど時間はかからない。
10年前、私は、セッションがやりたかったわけではなかった。
最初、私は、セッションという仕事が好きではなかった。
できたからやっていただけだ。
しんどかった。
だれかの人生に関わる責任の重さに吐き気がした。
いつでもやめる、と思っていた。
だから、勉強はしてきたが、資格にもこだわらなかった。
私の考えでは、人助けというなら、全ての仕事がそうであり、セッションという仕事になんら特別性はない。
疲れ果てていた頃、クリーンランゲージ&シンボリックモデリングに出会った。
そして、応用範囲の幅広さに救われた。
しかし、全員に使えるわけでもなく、テーマによって使い分ける必要はあるし、魔法並みにはまだ使えないが、それでも随分、楽になった。
私は、セッションを続けられる方法を模索していたのだな、と最近気がついた。
クライアントさんの人生に寄り添うこと。
それはいつしか、私の喜びに変わっていたようだ。
続けてみたらわかることというものもまたある。
すぐには手に入らない喜びもある。
でも、いつでもやめる、と思いながら、やめなかったのは、セッションを断らなかったのは、その先にある喜びを、私の体は知っていたのかもしれない。
そして、間違いなく、私を育てたのは、クライアントさん達だな、と思った。