新しい要素

徹底的に「聴くこと」を学び続けた数年間(10年くらい?)ののち、現在、私に訪れているのは、平和的に「話すこと」「伝えること」を教えることに対するニーズ。
 
プレゼンとかに使う派手なものではなく、人の心を掴むとかそういうことでもなく。
テーマは、平和。
人生上の平和を得るための「話し方」「伝え方」
言葉は変えない。個性は活かす。
 

おそらく私自身を知る人はどなたも異論はなかろうと思いますが、私は、もともと喋る方が得意です。
でも、先に来たのは、徹底して「聴くこと」だったのですよね。
勉強したのも「聴くこと」。

聞上手ですね、と本人が耳を疑う褒め言葉が、耳に入り始めたのは数年前。
(仕事に限らないけど、悩みを聞いている時だけ。普段は下手ではないけど、上手じゃない。)

そして、10年。
 
自分の話し方が少し変わったことには自分で気がついていました。
書き方も少し。
 
何を話すと、人は耳を傾けてくれ、何を話しても人は適当に聞くかに、「ここに注意を向けて話を聞きなさい」ということを学んでいた間に気がついたからです。
どういう風に、どういう要素を詰め込んで、どのような流れで話せば、人は聴きやすいのか、理解しやすいのか、相手も楽しいのか、どのように距離感を取ればいいのか、の答えは全て、「聞き方」の中に詰まっていたのでした。
 
そして、登場し始めた「発する」「話す」こと。

それで、面白いのは、すでに「聴くこと」が非常に頭の中で整理されつつあるので、それをくるっとひっくり返すと、「話すこと」の理論はもう成立してるということ。

特に、どこに注意を向けて人の話を聞き、どこに注意を向けて、人の話を膨らませ、というクリーンランゲージ&シンボリック・モデリングで学んだ(学んでいる)全ては、「話す時にここを意識的に構成する」というのと同じなのですね!と気がついた時の感動よ。
そこからさらに、真剣に勉強しだしたことは言うまでもありません。
 

日常での会話は「聴く」ことからはスタートしません。
自分一人、と考える人は、聞くことから始まることもあるかもしれません。
でも、会話は、一人でするものではありません。
だから、会話は必ず誰かが「話す」ことからスタートする。
そして、一人だけが話しているのは会話ではありません。
相槌だけであろうと、必ずどちらもが声を発する。
(イレギュラー的にそうでない場合もあるかもだけれど)
 
話すと聴くはワンセット。
個人の人生を変えていく力が大きいのは、「聞き方」ではなく「話し方」。

上手、下手ではなく、盛り込んでいる要素の違いがそこに大きく絡み、それは、シンボリック・モデリングをそのまま適用できると気がついたのでした。
 

自分の語る言葉は、誰よりも自分自身が一番聞く回数が多いのです。
誰もが影響を受けているのは、自分の語った言葉。
(それが成立しない時は、自分との関係性の解決が先)
 
 
そして、やることは、引き続き、今までと同じ勉強。
学ぶ内容は変わらず。

ただ、道の先には、自分が思っていたものとは違うものが待っているかもしれない、と感じたのでした。
 
私は、未来で待っているものを、必要な時期が来るまでは、基本的にはメタファーの状態でしか把握していないので、それが現実的にはどうなるのか?何を表しているのか?は、それが未知のものだった場合は、その時がくるまでわからないのでした。
 
自分のことは全部自分が知っている。
でも、全部把握はしていない。
 
見たことがない景色は、見るまでわからない。
 
そこに、「話すこと」が入ってるよ、と言うのを知った、と言う話でした。
ちょっと嬉しいかも。