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自分が最も得意とする言語で、実力が発揮しきれない。

excellent! や、good job!や、大きなハグ、それから、Your skill helped many people. いくら英語で褒められても、感謝されても、私が最も得意とする母国語を話す人々に、母国語で、同じクオリティを提供できない。


それは、私の心を痛くし続けた。
クリーンランゲージは耳障りだ、という風の音がたまに聞こえる時、私の心はまた痛んだ。
効果がない、何も起きないという風の音に、違う!と何かが猛烈に反発した。
それは、自分が提供したセッションから生まれた風の音ではなかった。
だから、私の胸は余計痛んだ。
フォローのしようがないからだ。

はっきり言って、私は怒っていた。
答えを見つけられない自分に。


何が違う?
どこが違う?
どのように違う?


数年前、質問の訳だ、と、私はすぐに思った。
そして、質問の訳を探しはじめた。

答えは見つからなかった。


今年の3月、日本語の訳は統一なんかできないんじゃないのか?と、アメリカからやってきた、トレーナーの1人が言った。

統一できないだろうし、統一する必要もないのでは?
もし、統一できたとしても10年くらいかかるんじゃないかしら?


また、イギリスにいる魔法使いは書いてきた。
どう訳すかには意味はない。
その訳が、クライアントにどういう効果をもたらすかだけが重要だ。


私が欲しいのは、自分が英語でセッションする時に起きるあの状態だ。
私は、私の母国で共に生きる人達に、それを提供したい。

私が欲しいのは、ただ、それだけだ。


なぜ、英語では起きて、日本語では起きない?


私が考えなければいけなかったのは、英語と日本語の違いではない、標準語という言葉の存在についてだということにたどり着いたのは、最初に考えはじめてから4年後のことだった。

私は、日本語について、考えなくちゃいけなかったんだ、と、私はようやく気がついた。


生まれた時から標準語の中で育つ日本人は、どれくらいいるのだろう?と、私は思った。