夫の価値

夫は変わった人で、彼がよく言うのは、「早く君が成功するのを待ってるんだけどな」だ。

結婚してしばらくした頃には、有名人になるということについて書いてある本を買ってきて、私に勉強のために読めと言った。
諦めなくてはいけないこと、手に入るもの、いろいろと書いてあった。

今でも、この人は本気で、妻が何かやると信じて疑わないようだ。
ちなみにもうひとり、私の成功を心待ちにしている人がいる。
母だ。

母の夢は、左団扇で暮らすことだそうで、「団扇は何本あってもいいわよ。ああ、楽しみだわ」と楽しそうに言う。

彼らが私に何を見ているか、私はわからない。
楽しそうなので、まあよいとしている。


さて、私が成功するかどうかはともかくとして、私は夫のこういうところは好きだ。

彼は、女性の成功を妬まない。
非常に私の仕事にも協力的だ。

過去に付き合った男性になくて、彼だけが持っていたのはこれだ。
彼は、張り合ってこない。
私は、男性が張り合ってくるのにうんざりしていたので、これは非常に魅力的だった。
私にとって仕事は、誰かと張り合うものでもなく、誰かと戦うものでもない。
他人とは協力するもので、私がただ戦うことがあったり、比較対象することがあるとしたら、その対象は、必ず自分だ。
他人を観察している余裕は、何かを学んだり、盗もうとしている時以外は、はっきり言ってない。


夫がそうなのは、彼が育った環境も、大きく影響していたかもしれない。

加えて、夫は、私をすごいと言わない。
私は人間としては、かなり欠けたところがあるということも受け入れている。
彼は、ありのままのサイズの私を見ている。
だから、私はがんばる必要はない。

これも、過去の男性には見えなかったらしいが、夫には見えているらしい部分だ。
前の夫も、君はすごいとかわけのわからないことを言っていた。

私は、すごいと言う理由で振られたことが、過去に二回ある。
意味がわからなかった。
何がすごいかもわからなかった。
私は、ただただ傷ついた。


どうしようもない人というのが、夫の私への評価だ。
私はこれが心地いい。
役割を持たない私は、実際そうだ。

他人がそこにいるのに頑張らなくていい場所、廃人のような自分がいていい場所ができたことで、私は随分と楽になった。


8年前の今日、私の友人や恩師が、夫に頭を下げたり、握手したりしているのを見た。

恩師のひとりは私に言った。

お前、彼は器がとても大きいね。
こんなに心の広い人はそうそういないよ。
お前はぶっ飛んだむちゃくちゃなところがあるから、日本人には相手はいないと思っていたよ。
彼を離してはいけないよ。


恩師は、夫と三十分前に初めて会ったばかりだったので、何を根拠にそう言うか謎だった。

私は、「はあ、そうですか」、とたいしてなんとも感じずに言った。

ともかくその日、私に関わる人たちは、なぜだか、夫を見て、とても安心したようだった。
みなが喜んでいるのはわかった。


私本人はいまいちよくわからなかった。

自分のことを一番理解しているのは、自分とは限らない。
周囲の方が把握していることもある。


今は少しわかる。
8年の歳月のおかげだ。


結婚の意味ははじまりにあるのではなく、少しずつ作られていくものではないかなと思う。


そして、この心の広い人は、毎年、この日かこの日の前日にだけ、大層心が狭くなり、私に怒る。

私は、なんでそんなに若い女の子みたいなことで怒るんだ、と言い返す。

なぜ覚えていないんだ、と夫は言う。

この一年、もめごとや言い争いのなかった我が家で唯一の言い争いは、私が結婚式や入籍に関わる日にちを覚えていないことについてだった。
夫は覚えている。
私は日付けを覚えるのがあまり得意ではないし、今日のこの日がなぜに大事かもよくわからない。

でも、夫は大事らしいので、また来年も、言い争いをしてみようと思う。
年に一回、言い争う日があってもいい。

感謝は毎日してるので、別に今日は特別な日じゃないと私は言いたいのだが、怒る夫は珍しいので、来年も楽しみにしてみよう。