天才の集まる国、普通の国

インド人がどうして賢いのか?という話をしていた。
相手は父。

最初に、インド人が賢いと言い出したのは父だった。
会社にいろんな国の人がいるが、インド人がずば抜けて賢いと、彼は言った。
そして、インド人は、人を貶めるためにその賢さを使わないから、それが好きだと言った。


私は、そもそも賢いから、インドでは早くから文明が発達したんじゃないか?と仮説を述べた。

そうなると、日本人は賢くないということになるけれど。
文明を生み出す類の賢さはないかもしれないと思うから、まあ、いい。
0から1を生み出す類の賢さ。
真似して取り込んでいくのは上手。


父は、そうだろうな、と言った。
ここから先は、しかし、真似して取り込むより、0から1が沢山必要になる時代だろうなとも、言った。
学校の成績が平均的によくても、あまり役には立たんだろうね。
何が得意な科目を極める方が役に立つだろうが、日本は社会システムがそうはなっていないから、それを許さない国だからね。
平均的というのはこの国のシステムを支えている。
日本は秀才が多く、天才が生まれにくい。


私に中学以降の数学は全くもって時間の無駄だったと、今でも私は思うので、それには私も同意だった。
時間の潰し方がうまくなっただけだ。

しかし、その場には不穏な空気が流れた。
なぜなら、やがて受験の中に突入していく予定の、内申点のために、平均的に全ての教科の成績を上げることに必死の秀才でも天才でもない人が、そこにひとりいたからだ。
特に彼女の母親と祖母が嫌な顔をした。


まあ、だいたい、私と父が2人で理屈をこねくり議論しはじめると、彼女達はつまらなさそうな嫌な顔をする。
昔からだ。

父は、私に、大人になってから、ちゃんと男性とも議論できるように、と、理屈で物を考える方法を小さい頃から教えた。
いつも、自分で考えなさい、君はどう思うの?と自分の考えを言わせようとした。
妹にはあまり言わなかったから、キャラクターを見ていたのかもしれない。


それから、わずか1桁の年齢で、まもなく大学院に進む男の子の話になった。
世界中の大学院から、うちに来てくれと引く手あまたの子供だ。
私は、あの子も、できない科目はきっと普通の子供なんだろうね、と言った。
むしろ、どこか欠けたところがあるだろうと言った。
父も、きっと普通の子供だろうと言った。


結局、天才はアメリカへ行く、と私は言った。
インド人もアメリカを目指す、学問の天才もアメリカを目指す、天才ハッカーはシリコンバレーを目指す。

欠けたところがある天才達は、アメリカを目指す。


天才が集まる国と、少しの秀才と平均的に学んだ人達が暮らす国は、どちらが幸せな国なのだろう?と、私はふと思った。