人は三食食べるものという暴力

決めつけが、どんなに人を傷つけることがあるかを、私は、よく知っている。
そして、その決めつけに抗わなかった時。
自分を知ろうとせず、決めつけに従った時。


正しくは、私の胃がよく知っている。
決めつけや押し付けが、私に痛みをもたらすこと。
そこから自分を守るのは、それは私には必要ないと、はっきり言うしかないこと。


人は三食食べるものという決めつけ。
よく食べるのがいいことだという思いこみ。
三食食べなければならないという常識。


これらのせいで、私の胃は傷ついた。
その決めつけは、多くの場合、ほとんどの場合、その出所は愛だったりするのだが、出所が愛だったとしても、愛が根っこにあるなら傷つかないというわけでもない。

そして、この場合、よかれと思ってそれを押し付けてくるわけで、誰も悪くない。

本人すら、そうするべきなのだ、それが当たり前だと、疑ってみなかったのだから。


幼い頃から、私は食が細かった。
人生に給食が登場してから後、実家を出るまで、私はずっと胃薬を飲んでいた。

24歳で実家を出た後、胃薬は不要になった。
変わったことはただ一つ。
昼食を抜いただけ。
軽く軽食は食べたが、がっつり食べなくなった。
昼ごはんを食べた日は、夕食を抜いた。

29歳で一人暮らしを始めた後、私は、お腹が減ったら食べたいだけ食べる方式に変更した。
月に二日くらい、何も食べない日が登場した。
そして、さらに胃腸の調子はよくなった。


ここまで来てようやく私は、自分の胃は、人とは違うんだと理解した。
小さいか何か、理由はわからないけれど、みんなと同じように食べてはいけないと思った。

自分で量が選べない時、食べるタイミングを選べない時、ご飯を残すことに罪悪感を覚えてもいけないとも気づいた。
罪悪感は、私を傷つける。


小さな頃、ご飯をもう食べられないというと、母は必ず言った。
「アフリカの子供たちのことを考えなさい。食べたくても食べれないのよ。」

私は、この擦り込みを手放すことにした。
感謝しなさいと母は言ったのだ。
無理して食え、とは言っていない。

そのあと、私は、アフリカの子供の食料支援に寄付しはじめた。
私は人より食べないので食費が少ない。
余りを、子供に回そうと思ったのだ。

私がご飯を全部食べて胃を傷つけても、アフリカの子供の状況がよくなることはない。
アフリカの子供たちに必要なことは、私がご飯を食べることじゃない、世界中の子供が、アフリカの子供と自分を比べて自分の恵まれた状況に感謝することでもない。
彼らのために祈ることでもない。
彼らに必要なのは、食糧だと私は冷静に思った。
空腹を満たすのは、ただ、食糧のみだ。
食糧以外で空腹が満たせるというバカがいるなら、その人は、お腹が減ったことがない人だ。


そしてやがて、私の食事回数は、だいたいの日、一日二回、朝と夕方で落ちついた。
自分で自分と向き合い続けた結果、これが一番調子がいいと気がついた。

三十代後半になっていた。


今、私は決めつけは断固としてはねつける。
笑顔で。

今、お腹減ってない。
今はいいわ。
ありがとう、後で頂くわ。

やりようはいくらでもある。
相手が、私について知る必要もない。
私はこうです!知っておいて!と主張するのは、私の性に合わない。

人はみな、好きなように食べものを勧めたい生き物なのだ。
いいものを勧めたい、それは愛だ。
多くの決めつけが、それを発端とするように。
気持ちは受け取ることにしている。


隣に夫がいれば、量は気にしない。
食べられるだけ食べて、残りは夫に回す。
おかげで夫はぷくぷく太ったが、体調は問題ない。


私の胃は、決めつけとの付き合い方を私に教えた。
三食食えという、愛から出る暴力との付き合い方。


今、私は、それを暴力にしないようにすることができる。


ただし、例外がある。
実家と祖母の家。
勝てない。

食え食えと彼らは言う。
私は、できる限りはこれには付き合う。
私が食べる時の彼らがあまりに嬉しそうだからだ。
食べるだけで人を喜ばせられるなら、私は食べる。

そして、影でこっそり胃薬を飲む。
胃は痛いが、この痛みには甘さが伴う。
頻度の話で、私は自分が全く傷つかないでいたいわけではない。
最近は、先に胃薬を飲んでから、彼らのところには行く。

治せる程度の傷ならば、治療法がわかっていて、その癒しを自分が手に入れられるとわかっていれば、大したことはない。
傷つくとわかっていても、やる方を選ぶこともある。
その場合は、傷が最小限で済むように先に手を打つ。


胃は暴力との付き合い方を、私に教えてくれた。
暴力と誰も気づかない暴力。
それはきっと世の中にあふれていて、きっと誰も悪くない。