ご褒美が欲しいわけじゃない

ご褒美が欲しいわけじゃない。

でも、私が、何かひとつ動く度、欲しくてたまらなかったのだろうけれど、それはもう手に入らない、失ったものだと私は思っていて、欲しいとすら思わなくなっていたものが、人生に、私の手元に戻ってくる。

クオリティということでなら、それは過去に持っていた時の十分の一のクオリティだ。
どないやねん、と、自分にうんざりするクオリティ。
だが、気持ちの豊かさということでなら、それは、過去の何倍も何倍も豊かだ。


不思議なことだ。
本当に不思議なことだ。

そして、それらが手元に戻る度、私は過去のがむしゃらに頑張っていた自分を抱きしめたいような愛おしさを感じる。

その時期があったから、今、私は、気持ちに余裕がある状態で、十分の一のクオリティに豊かさを感じることができるからだ。


しかしながら、私は欲深い。
十分の一では、やはり不満である。

八分の一くらいまでなら、戻せるのではなかろうか?と考えたりする。
彼女のようにがむしゃらにはなれない。
それでも。


過去の私という彼女のおかげで、私は、十分の一を八分の一にできるただ一つの方法を知っている。

そこに必要な時間もだいたい予測できる。


三年。
今から三年。
過去の彼女がそれらに費やした時間の八分の一の時間を、そのために使ってみよう。

一日一時間。
それが八分の一。

三年後の私が、どないやねん.......とは感じないために。
ただ、豊かな気持ちだけでいられるように。 


そして、その八分の一の時間が人生に加わると、またひとつ、失った習慣が人生に戻ることになる。

不思議なことだ。
本当に不思議。


ともかく私は、素直に感謝する。


それらを欲しいと思ってよくなったことを。
努力したいと思えることを。
そして、努力していいことを。

望みを抱くこと。
それがすでにご褒美だ。