夫婦げんか

ある時から、私と夫はけんかしなくなった。

夫婦喧嘩のネタは、いつも同じようなことだった。
ざっくり言えば、なんでできへんねん、だ。
お互いに。


相手ができないことを言っても仕方ないと、互いに悟ったわけではなく、互いが自分の不快感を排除すべく、自分のためを考えた結果、我が家からはけんかが消えた。
自分の快適さは自分でなんとかしろが、大人二人暮らしの我が家のルールだ。


怒っている不愉快さより諦めを、二人がほぼ同時に選択したと思われる。

なにしろ、そのできないは改善される見込みがない。
改善されないことについて話し合うのは非生産的だと、これまた二人がほぼ時を同じくして感じはじめたようだった。

改善されるならば、不愉快な思いはする価値がある。
改善されないならば、不愉快な思いは、ただ時間を占領するだけだ。


夫婦喧嘩は、結局、突き詰めれば、許すか別れるかしかないわけだから、別れる気がない以上、不愉快さをいかに早く解決するかのほうが精神衛生上よい、喧嘩をすれば不愉快さが長引くと、二人は判断した。

それで、それぞれ、勝手にひとりで怒っていることになった。

私はひとり怒っている時は黙っている。
だから、夫は黙っている私には話しかけない。

先日、聞いてみたところ、夫の統計では、私が黙っている時の八割は怒っている時で、あとは他の理由のようだが、夫には、私が黙っている理由が見分けがつかないので、とりあえず私が黙っている時は声をかけないことにしているらしい。

そして、私はしばらくしてから、夫にぶちぶち文句を話す。
この時には怒りはないので、笑いまじりのいやみになっていて、けんかにはならない。

けんかはしないが、我慢をしようと決めたわけではないので、文句は一応言う。
改善は諦めてはいるが、私は何もかも受容できる度量の大きさは持ち合わせないちいちゃな人である。
仕事ならできる。夫にはできない。


私は、夫が怒っている時はわかる。
理由が同じことしかないからだ。

しかし、私は気づいていないふりをする。
または、「今やろうと思ってたのに!」と小学生なみの呟きを、夫に聞こえるように言って、立ち去るか黙る。

夫はあとからは言わない。


たまに家庭内満足度向上のため、夫に尋ねてみるが、夫は私に対する不満はひとつもないそうである。
ただし、目は合わない。
言葉とボディランゲージに調和が見られず、これは本当ではないようだが、私は素直に言葉だけを採用する。


夫は、私には尋ねてこない。
賢い。