体を張る男

10年くらい前、私の実家は、バラバラに崩壊しかけていた。
そこまでも、いろんなことがあったけれど、ついに崩壊の時のカウントダウンが始まっていた。


そこで、体を張った男がいた。
父だ。


健康診断で引っかかり、糖尿病の検査に行った父の体から癌が見つかった。
仙骨癌が、肺に転移しているということだった。

父は、さらに大きな病院で検査を受けた。
そして、仙骨癌ではない、肺がんが仙骨に転移していると病名が変わった。
ステージⅣ。
余命は2ヵ月。


父は、手術はしないと言った。
そして、死ぬ準備をはじめた。

まだ幼稚園だった姪っ子には、「じいじはスリッパぼうや(透明人間の子供。そういう絵本がある)になる」と言って、姪っ子を泣かせた。
姪っ子は、スリッパぼうやは怖くて嫌いだった。

私たち共、それぞれ話をした。
そして、私は実家を出禁になった。
父の言うことに、腹が立ち、言い返し、大げんかになったからだ。
「何を今さら。おまえが自分でやれや!」と私が言ったら、父は激怒した。
そばで見ていた妹は止めに入らなかった。
「お姉ちゃん、もっと言え」というように、うんうんうなづきながら、私の方を見ていた。

私はなんとなく、父は死なないと思っていた。
それがまた、父の怒りを買った。
父は死ぬ気まんまんだったからだ。

父は人生に「あと一回だけ、太刀魚つりに行きたい」以外の悔いがなかった。
自分の人生には満足しているらしかった。

父は、親戚の人を呼び、母の今後を頼んだ。
娘には、助けたいならおまえが自分でやれや、お母さんは弱くない!と言われてしまったからである。


そこから、お医者さんは、何もしないわけにはいかないので、抗がん剤と放射線の治療だけはさせて欲しいと言った。
そして、使用する抗がん剤を選ぶために、父は検査を受けた。

検査結果は、一週間で出ると言われていたのに、それは長くかかった。

やがて、お医者さんは言った。
肺がんではありません。
これは、悪性リンパ腫です。
いい薬が去年できたんです。
もしかしたら、助かるかもしれない。


そして、父は死ななかった。
ほらな、と私は思った。

父は以後、私をやや恐れるようになった。
周りが悲劇一色だった時期に、私ひとり、どうせ死なんと言い切ってていたからだ。

その後、父は、一度幕を下ろした人生の幕を再び上げることがしんどそうで、軽い鬱になった。
そして、それからしばらくして、休んでいた仕事に通いはじめ、元気になった。


母は、以後、何かあると、「お姉ちゃん、また出禁になってくれないかしら?」と、自分が父に言えないことを、私に言ってくれというようになった。

姪っ子は、スリッパぼうやを怖がらない年になった。

そして、父が体を張ったおかげで、家族は崩壊しなかった。
力を合わせるしかない状況が、家族を以前より近くした。


父は、今、タクシーに乗って、太刀魚つりに行く。
もう人生には何も悔いはないだろう。


父には戸籍上の誕生日と、本当の誕生日がある。
誕生日が2つあるややこしい人だ。

今日は、そのうちひとつの誕生日だ。


私は、ひとつだけ決めていることがある。
父の葬式の日、拍手で見送ることだ。

自由に生きるをやりきること、やりたいように生きることは、なかなか根性がいると、私は知ってる。
それを目の前で見せてくれたことに、私は感謝する。


ただし、父には言わない。
私は、怖い娘をやりきる。


お父さん、あの時、体を張って、家族を守ってくれたことを感謝します。