What if-もしも-
もしも。
What if.
別のタイムラインに存在する自分の人生とつながる方法は、本気で空想してみること。
もしもあの時、別の選択をしていたら?
小さな頃の願いが叶っていたなら?
もしもあの時、誰かが助けていてくれたら?
もしも。
それが起き「た」時のことを空想してみること。
そして、もしも、それが起きていたら、「今」自分はどうだったかを空想してみること。
意識の中で、「今」に「もしも」を引っ張り込むこと。
注意点は、その作業をする時に、現実の今と比べないこと。
ただ、楽しみながら、違う今を生み出すその作業に没頭すること。
やってみたかったことをやっていたら、今、どうだったか。
楽しめないこと、喜べないこと、嬉しくないこと、快適でない要素は考えないこと。
考えること自体に意味があるので、それが今現実にあるかどうかは、意味がない。
意識の中で、今に引っ張りこむことだけに意味がある。
その人に浮かぶ全ては、その人にとっては可能性があることだ。
妄想でない限りは。
別人でなければ不可能なことでなければ。
努力や選択で、変わったと思われる要素については、それを選択しなかった今があったとして、それを選択した今も、可能性としては存在しており、別のタイムラインには、その別の選択をした自分が生きている可能性は、否定できない。
それが、10パターンくらいあるとしたら?
話は、SFだ。
自分の人生に、何一つ悔いのない人には、関係ない話ではある。
私には、自分のそばに、人生に悔いが一つもない人が一人いる。
父だ。
死にかけた時に本気だったから、それは嘘ではないだろう。
彼の人生を見ていると、彼は職業にはしなかったことも、やりたいことはやってきたように見える。
SFにたどりついた時、彼は自然にそれをしてるんだなと感じた。
ちなみに、父は、こういう答えのない話は嫌いだ。
彼は非常に現実的な人だ。
あまり物事を難しく考えない。
思考がシンプルだ。
ともかく、私の観察対象には、父がいる。
人生に、全く不満のない人として。
幼い頃から見続けてきた。
彼は、いつでも、実にやりたいようにやっていた。
彼は、普通の人が、己の力でたどり着けそうな程度の成功者なのがまたよかった。
彼が仕事でたどり着けた場所は、彼の学歴では不可能なはずの場所だった。
彼の育ちが違えば、彼は、小学校の先生になっていたのではないかと思われる。
彼の夢は、子供に勉強を教え、子供と遊ぶことだった。
彼は、彼が生きたタイムラインで、娘の家庭教師をした。
娘のひとりに非行化する恐れがあり、塾には行かせられなかったからだ。
彼は、やがて生まれた孫娘と、ものすごくたくさん遊んだ。
今でも、大きくなった孫娘と彼は、大の仲良しだ。
小学校の先生がしそうなことのいくらかは、彼の人生の中に起きた。
それらをするとき、彼は非常に楽しそうだった。
別のタイムラインで、別の人生を送る自分の人生を、そっくりそのまま送ることはできない。
けれど、やってみたいこと、に関していうならば、「その体験」を人生に引っ張りこむことはできる。
そして、タイムライン同士は繋がっている。
繋がっていて、相互作用している。
これには、以前書いたけれど、私自身の体験を使って説明してみようと思う。
私は、今と未来については、統合が終わっていないが、過去のある時期までについては、別のタイムラインとの統合が終わっている。