大きな傘

 

今朝、目が覚めた瞬間、以前働いていた会社の社長と何かで二人歩きながら話していた時に、彼が言ったことを思い出した。


「君はいいよ。君は、自分で考えてやっていけるからね。だけどさ、大きな傘の下で、傘に守ってもらいながら生きていくしかない人もいるんだよ。」


さて。


ちょっと気になって、ネットのニュースコメントをさらいにいったら、私が住む地域で、この二週間、自分と同じようなことを感じていた人が、たくさんいたようだった。


私の住む町を舞台とした話が、ある日を境に、有名どころのメディアが一斉に同じ論調に変わったのだ。

コメント欄を見る限り、それを不気味だと感じた人は、私だけではなかった。


そして、数年をかけて、行われてきたことは、おそらく、ある新聞が書いた誤報が決め手で否決された。

票数差から考えたら、そのニュースが出てから訂正されるまでの数日の期日前投票で、結果が割れたんじゃないかと思う。

そのニュースが本当ならば、私も否決側に投じた。

けれど、それは嘘だった。


報道が、メディアが、人の意識を意図的にコントロールしていくのを体験した。


何かが本気だすと、こういうことかと、私は思った。


一夜明け、暗い未来をご丁寧にお知らせしてくれる記事やニュースが、こんどはあふれ始めた。

たった数日では変わらない事実を並べて。

報道の役割は、それらを現状として示し、否決された案と、反対の声とを並べて、さあ、どっちを選びますか?とやることだったんじゃないかと思う。


二週間前までは、まだそうだった。

二週間前から、一気に変わった。


大きな何かの存在を感じさせるような報道に、一気に傾いた。

おかしい、不気味、怖いと感じる人たちがたくさん登場した。


もちろん、感じない人もいた。


大きな何かが、人なのか集団なのかは知らないが、下手を打ったなと、私は思った。

普段はもう少し上手にやるのだろうが、日がなかったから。

気づかれちゃいけない。

自然に感情を誘導しないと。

自然に感情を誘導された人も、いたけれど、不気味だ、怖いと、気づいた人は、今後もその違和感は忘れない。



私は、結果が、自分たちが考えて選んだことであれば、どちらになってもよかった。

けれど、地方自治が踏み躙られてる感じを私はすごく感じた。



そして、思った。

大きな傘が戦争を望んだら、それはもう止められない。

それが、大きな傘の下で生きるということ。


大きな傘に、穴が開かないことを祈るばかりだ。

少なくとも、大きな傘が守りたかったのは、私の住む町ではないことだけは確かだと思う。


ちなみに、大きな傘は、悪者ではないと思う。

力はすごそうだけど、闇とかじゃあない。


だから、ややこしい。



まさか、こんなわかりやすく、自分の人生で、映画やドラマにあるみたいな怖さを感情を伴って体験するとは思わなかった。

そしてそれから、私は、あ!と思った。


また、私のSFの内容が充実した、と。

夫や友達とした会話は、映画やドラマでかわされそうな会話だった。

しかも、ヒソヒソ。


ふふふ〜、と、私は思った。


物語には大きな傘も登場させよう、その方が話が面白いと思ったからだ。



さて、ちなみに、否決されて、喜んでる人の姿は見ない。

反対派の議員すら。


そして、財政の厳しさを、報道が報じはじめた。

そもそもそのために始まった策が潰れた翌日、その財政の厳しさをなんとかする策がいると、メディアは一斉に報じた。


話は、振り出しに戻った。


大きな傘は、そこには関わらない。