解く2

 単語ひとつが鍵になってることは、ほんとにあるもので。言葉には、力があるなと思うのはこういう時。

解くのつづき。

話は、昨日に遡る。

ああ、私にはこの形の礼拝がいいかもしれないと、昨日の礼拝中に思った。


昨日、私は、自分の家のベランダのウッドデッキに座り、陽に当たりながら、パソコンが使えなかったので、スマホから音声だけで、礼拝に参加していた。


暖かい日で、日差しはぬくぬくしていて、体はポカポカしていた。


私は、礼拝が始まる直前まで、ブログを書いていた。

相方さんには、LINEで軽く報告した。


そして、礼拝が始まり、聖書メッセージが始まった瞬間、昨日、解くに書いた29の動詞が、一気に、日差しの中で浮かんだ。


おっちゃんUさんの声をなんとなく聴きながら、ああ、そうか、普段も聖書メッセージのところは、私は絵を描いてるなあと思った。


それから、あ!!!と思った。

私は聖書メッセージ中、聖書を媒介にして、なんかをダウンロードしてるのか!



あ!!!と、私は思った。

礼拝中に、私が描き続けた絵は、あれは、カードの図柄だ!と、私は気がついた。

ジーザス、手伝ってくれてたんか、優しいな、祈ってなくても知ってたんやな、そりゃそうやわなと、ありがとジーザスと思った。


図柄のほとんど、もう、できてると、私は気づいた。


すごいわ楽ちんだわと、私は思った。

描いたものをデジタルにおこせばいいだけだ。


そして、ああ、今回は、生みの苦しみはない、生みの喜び、作る喜びだけを味わったらいいよって感じだなあと思った。

しかも、デザインするのも、ひとりでやらなくていいよ、協力してもらってやりなさい、って感じだな。


だって私はひまつぶしに遊んでいたのだもの。

聖書メッセージは、私のような人には、実に退屈な日は退屈なのである。

それでよく思うのは、ジーザス(人間のね)とか、ブッダとか、モーゼとか、ムハンマドとかって、話が上手かったんだろうなということ。

きっと、すごく面白く、人を引き込む話し方だったんだろうな。



話はそれたが、話は戻る。


私は、ただ、聖書から感じる光を絵に描いていた。

聖書から感じる知恵をモチーフに絵に描いていた。



そしてそれから私は、ああ、図柄は、すでに29くらいは揃ってるなと思った。

私は、絵を紙に描き散らかしているので、礼拝の紙を探さなくちゃいけない。



そして、ああ、なるほどね。

礼拝はダウンロードか、と気がついた。


だとしたら、おっちゃんUさんは、優秀だ。

私の知る知識の限りでは、おっちゃんUさんは、人をコントロールしようと一切してない。

でなければ、ダウンロードは起きない。


そうでない時、そこに生まれるのは、マインドコントロールや洗脳だ。

洗脳やマインドコントロールは、喜びや豊かさは生まない。


まあ、ともかく、なんでかはわからんが、おっちゃんUさんはどうやら、カード作りに協力してくれていたらしい。


だって、おっちゃんの聖書メッセージは、たまにくそつまらないので、私のお絵描きは捗ったのだから。

けれど、おっちゃんの聖書メッセージは、他の人がするメッセージより、色鮮やかなものを、私に感じさせてくれたから。


上手い下手ではないのやな、クソつまらんものには、つまらん意味がある、と、私は思った。



そして、それから、わかった!と思った。


神さまを礼拝する、礼拝するの意味。

私にとっては、文字を書いたり、絵を描いたり、人の話を聞いたり、人に分かち合ったり、喜んだり、協力したり、何かを解いたり、何かを使ったり、考えたりすること。


それも全部、礼拝なんだということ。

喜んでやってる時、それは全部礼拝。

私の理解では。


なあ〜んだ!と、私は思った。