本気出す出さない問題
本気を出す、出さないという話。
本気を出さないなら、本気を出さないでいけてるということなので、まあ、それでいいんちゃう?と、最近、自分にも人にも温かい目線で眺められるようになった。
問題ないってことでしょ?いいんじゃな〜いと、非常に温かい。
(老化とも言う。
今のところ、老化は、快適なので、どんどん老化していいと、私は感じている。)
変わる変わらない問題も同じく。
本気出さなきゃ仕方ない時に、本気出さないなら問題だし、変わらなければいけない時に変われないなら問題だが、本気を出さず、変わらないで、本人が不満以外のことがなくいけているなら、ノープロブレムだ。
ただし。
少し先に、それが確実に問題を生むと気づいているなら話は別だ。
どのみち、やるはめになるから。
ここで、選択、なのである。
しんどくなってからやるか、今、余裕がある間にやるか。
私は、しんどくなる直前に、あかん、しんどくなる、時間がない!!と少しだけプレッシャーを感じながらやることが多い。
めんどくさがりなので、余裕がある時にはやらない。
これは、各々、性格的なもんがあるだろう。
やるしかないことは、やるしかない時に、どっちみち、やるしかないのだ。
後回しにしようが、先にやろうが。
味わう感情が違うだけで、結局のところは同じだ。
そして、いつまでも本気を出さない話は、多分、本当は、やりたくない話だ。
だから、ギリギリまでやらない。
やりたいことだけやって人生成立すればいいが、やりたいことのためにやらなくてはならない、やりたくないことも、また、存在し、つまりは、やりたいことのためのやりたくないことをできるかどうかは、結構、大きい違いを生む気はするが、でも、やらないだけで人生には問題ないなら。
それで、いいんじゃないの?と、最近は思う。
ほかに大事なものがあるのかも。