同じニュアンス
それはどういうこと?と、夫に尋ねられた。
私は、この数年、毎日毎日、海外ドラマを見続けてきた。
最低、一日二時間。
忙しい日は、朝起きてすぐ一本。
夜、寝る前に一本。
見方は時期によって異なり、今は、音声英語、字幕は日本語で、目は日本語を追いながら、英語のシャドーイングをしている。
それを聞いた夫が、どういうこと?と笑いながら尋ねてきたのだ。
私は、だから、目は日本語、耳と口は英語と言った。
日本語を見ながら、英語を話しているのか?と夫は言った。
私は、そう!それなら意味が同時に覚えられるからと言った。
あと、言葉のニュアンスと、と。
どういうこと?と夫は言った。
たとえばね。
Can you believe?
信じられる?だが、これを、日本語字幕は、怪しいもんよね、とか、私はわからないわ、とか、どう思う?とか訳していたりする。
そういうこと、と、私は言った。
そこに暮らさねばわからない微妙なニュアンス、それを掴むのに、ドラマはシチュエーションがあるからちょうどいいのと、私は言った。
そして、日本語と英語が、同じニュアンスを持たせられることが、どうも、私には重要なんだ、と、私は言った。
これは、最近、わかったけど、と。
SFファンタジーのために、と。
私は言った。
この話はどう考えても、英語圏の人の方が好きだ。
本は、英語だ。
もしかしたら、自分は、最初に英語で書くつもりなのかもしれない。
未来の私だけど、と。
それならば、ブログに何もかも書いているのは納得できる。
盗作される心配がない。
なにしろ、日本語なのだから、と。
あのね、私は気づいたの。
日本人の日常は、日本人には普通でも、外国人から見ればエキゾチックだということに、と。
ありふれた私の日々、ここは、外国なのよ、と。
ブログは、全て、今から書くのも、下書きだ。
全部を小説にしたら、本が何冊あっても足りないと気づいたと、私は言った。
それでね、最初の場面は、もう何年も前に書いていると気づいた共、私は言った。
私に、必要なものは、日本語と同じだけの、表現力だ。
英語が読める、英語が理解できるではなく、表現力。
日本語と同じ程度に。
そして、それから、物語がSFなのは、これがUFOが仕組んだ話だからだ、と、私は言った。
UFOはカリフォルニア生まれのメタファーだ。
たまたま見た庭に転がっていた物体をUFOみたいと思ったことから。
そして。
それから、私は、少しメタファーを広げてやる必要がある。
誰か私に英語で聞いて欲しい。
What would you like to have happen?と、と、思った。
そうしたら、嘘みたいだが。
嘘みたいだが、今日、そのタイミングで、アメリカからメールでお知らせが来た。
西の魔法使いから。
魔法使いたちは、来年年明けに、オンラインで、また、同じ会をやるという。
興味があれば返信して、というメールだった。
数年前、辞書がなければ読めなかったメールを、今日、私は、辞書なしですらすら読み、そして、辞書なしで、返事を書いた。
詳しく決まったら、詳細を教えてくださいと。
そして、私は理解した。
私に必要なことは、英語で、表現できること。
日本語と同じことを、その国のニュアンスの英語で。
日本語を英語に翻訳してもらうのではなく、自分が伝えたいことを、二つの言葉で同じニュアンスを出せるように表現を変えて、自分自身で両方書くこと。
自分で言葉を選ぶこと。
そうできるように、なること。
私は、先は長いよ〜、と思った。