明るい未来
昨日の午後、ある同じ地域に住む年が離れた知人と、最近の街に起きたことについておしゃべりした。
投票が絡む話だ。
その人は反対派、私は賛成派。
二人の意見は、相容れない。
世代や立場も違うので、話し合っても、永遠に違っただろう。
私たちは、ゲラゲラ笑いながら、楽しくおしゃべりをした。
私は「そうは言いますけどね」とか、「ああ、さっきから高齢者の悪口を言ってますけどね」とか、大笑いしながら話し、その人も「この計画でどれだけ無駄使いしたか」と計画そのものを批判した。
私は「最初にお隣のお金持ちの市に断られたことが大きかったような気がする」と笑った。
二人とも、ゲラゲラ笑いながら話した。
そして、「つまり、みんな大阪が好きなんや」と言うことは、同じだった。
そしてそれから、「おそらくしばらくしたら、市を残したままで、区を再編しようとし始めるに違いない」という話になった。
計画の部分で、住民投票が必要だったのは、市を無くすことだけだ。
議会は、賛成多数だ。
であれば、投票が必要ない部分でできることは、ある程度はやるはずだ。
会話はずっと笑いながら続いた。
ここまでも、住民は分断はしていない。
意見は違っても、笑いあってる。
面白けりゃ、なんでもいい。
夜、夫と話をした。
私はTwitterで見た、ある区の人々の意見を話し、夫とゲラゲラ笑った。
そのある区は、住所がステイタスで、大阪のど真ん中にあり、タワーマンションが多く建つ。
前回は、圧倒的に賛成が多かった。
今回も、賛成だったが、賛成票が減った。
理由は区割りだと、そこの住人だと言う人がTwitterで人々は語っていた。
自分の周りは、皆、ずっと賛成してきた。
けれど、今回の区割りで、自分たちだけではある区を養えないと、みな反対に回った。
そう書いていた。
私と夫はゲラゲラ笑った。
外から見ていてはわからないだろうが、どこが養いますか?という区が、大阪市には二区ある。
これはおそらく特殊事情だ。
全国的に見ても、突出している。
ひとつは全国的にも地名が有名だ。
そして、二区はカラーが違う。
夫は、いっそ綺麗事は言わずに、大阪市を四区でなく、六区にわけ、その二区は府が養うということにしたらよかったんやと笑った。
そしてそれから、私は「でもさ。みんな大笑いはするし、ネタにはするんだけど、差別はせんし、どうにかせえという意見はあまり聞かないよね。しゃあないなあ、どないやねんと、笑いながら受け入れている人が多い気がする」と言った。
生まれた時から大阪市民の夫も、「そやなあ。そういえば批判はあんまり聞かんね。ネタにはするけどな」と言った。
そこの住人は、漫才のネタにもなることがある。
それが差別的という評価にはならず、面白いのは、その漫才師の目線に、全員ではないけれど確実にいくらかいる、税金で養われているにも関わらず、昼からお酒飲んで博打を打つどうしようもない人達が、同時に、愛すべき人達だというのが含まれているからだと思う。
どないやねんと、人は笑う。
大抵の人は、笑うが責めはしない。
どうにもならんことを、責めても仕方ない。
その人たちもどうにかできるなら、どうにかしたやろう。
どうにもならんかったから、そうなのだ。
多様性を受け入れるという点においては、最先端の場所に住んでいるかもしれないなと、私は思った。
ようは、ぐちゃぐちゃ。
多様性を受け入れるコツは、やはり、好き、なのかもしれないなと思った。
それから、ユーモア。笑い。
私が昼間話した人のことを、私は好きだ。
おそらく相手も私を好きだ。
好きな相手が真反対の意見を持つ時、ゲラゲラ笑いながら、永遠に相容れない会話ができる。
笑いとは、受容だと、私は思った。
どんな世が来ようと、笑っときゃいいと、私は思った。
それが、明るい未来、だ。