黄色いバスが浮かんだ理由
黄色いバスの話は、最初、ふと浮かんだ。
図書館バス。
もっと最初は、図書館だった。
バスに色がついたのは、友人との会話の中。
黄色いバスの話は、私のどの願いとも違う。
それは、出どころがわからなかった。
(SFに考えが至った後、今は、私はこれは、別のタイムラインの自分の頭の中からやってきたと思っている。
私の人生は、おそらく、別のタイムラインの自分には、別の形で存在している。)
ただ、図書館バスが最初に浮かんだ時、私は、その思いつきをとても好きになった。
今朝、あ、これだ!と思った。
何かがふと浮かぶ時、それを採用する基準について。
今の私は、その思いつきを自分が好きかどうかで、それを採用するかどうかを決めている。
過去は違った。
その思いつきが実現可能かどうかを、まず、最初に考えた。
そして、自分が把握する自分の可能性に照らし合わせたり、金銭的なことを考えたりして、非常に現実的に判断した。
結果は、過去の不満たらたらの人生だ。
思いつきを採用する基準を好きかどうかで決めるようになったきっかけは、これもまた、結婚かもしれない。
夫は、結婚前、今の状態とは違った。
優しいが、普通に考えりゃ、関わるリスクの高い人だった。
一緒にいて全く緊張しない違和感のない人で、優しいけれど、まず、口数が極端に少なかったので、何を考えているかがわからなかった。
愚痴はひどいし、上司に嫌われて、仕事はいけてなかった。
話を聞いている限り、上司が正解なように私には思えた。
お金もあまり、なさそうだった。
少なくとも光ってはいなかった。
最終的には、私は、好きかどうかで判断した。
これには、母の一言も関係している。
「あなたね、どうせもう一度離婚してるのよ。二回も三回も同じことよ。嫌ならまた帰ってくればいいのよ。とりあえず結婚しなさい。」
小さな頃、近所の大きいお兄ちゃんにやられて泣きながら帰ってきた私に、「やり返してきなさい。ただやられて泣くんじゃない。ちゃんと戦って、負けてから帰ってきなさい。泣いて帰ってくるのは、その後よ」と玄関から再び追い戻した時と同じいたずらな口調で母は言った。
軽い好きを判断基準にしてリスクの高い選択し結婚した後、私は、夫のリスクを潰し倒した。
最初の数年は、夫に使うと決めた。
仕事のペースをむちゃくちゃ落とした。
私は、ともかく、この人が先だと思ったのだ。
夫が、私にマンションを買ってくれたのは、私のセッション代への支払いだ。
普通にセッションをしたなら、それくらいの金額にはなった。
サラリーマンの彼は、長い長いローンを組んだ。
しかし、私はただ好意でそれをしたわけではない。
これもまた、別の人のことばが影響している。
結婚前にある人が言った。
「この世にたった一人、あなたでなければ救えない人がいるとしたら。そのたった一人を救うのは、百万人を救うより価値があるんじゃない?」
私は夫をモルモットに、自分が知るありとあらゆることをした。
意識は現実を変えるの実験だ。
普通のクライアントさんでこれをやるわけにはいかないので、それは面白くもあった。
夫自身が何より、どうにかしたいと望んでいた。
時が流れ、夫が用意してくれた、部屋から緑が見える部屋で、私は黄色いバスのものがたりにたどり着いた。
最近、世の中の夫婦の話を聞いていると、みな、相手に対する期待が大きいという話を、私は夫にした。
私は、「あなたのいいところは、私に対する期待値がほとんどないことねえ」と言った。
夫は「そんなことはない」と言った。
「僕はものすごく、君には期待してる。」
私は、笑って「何を?」と言った。
夫はひとこと、「黄色いバス」と言った。