ナチュラリストと自己中の主張

それは、教室から始まった。

わちゃわちゃ話していた、ほとんど意味のない内容の会話。


ただ、笑えればよかった。


30年に渡り継続されている意味のない会話のいくつかで、11月に入って、「何?ナチュラリストなの?」と、私は聞かれた。


大笑いと共に。


おかしな時代がやってきた。


私は、もともと肉をあまり食べない。

小さい頃は、全く食べられなかった。

給食は地獄。

今は食べるが、この世から食品として肉が消えても、私は全く困らない。

私の食事は、そもそも野菜が主だ。


私は、菜食主義ではないが。

昆虫食に代用肉の世界が来ても、私はそう困らない。

ほら、私で正解じゃない!と、小学校の教室に戻って、私が肉を食べないと怒った教師に文句を言いにいきたいような気はする。


肉を食べるなんて、なんて野蛮で意識の低い!という時代が、やがて来る。

仕方ないから。

二酸化炭素を減らさないとですね。

私は、二酸化炭素に興味はないが、大豆メイドの美味しい代用肉で全く問題ない。

むしろ、豆腐でいい。


私は、家での食器洗いの洗剤は、エコなヤシの実石鹸しか使わない。

もう長いこと。

手の皮膚にぶつぶつができてしまうからだ。


私は、もう三年くらい、お風呂で体を洗うのに石鹸を使ってない。

私は乾燥肌で、テレビでそうすれば、粉を吹かなくなると知り、試してみたら、ほんとにそうだったからだ。

冬も肌はかゆくならなくなった。


私は、シャンプーは、多くて、週に二回くらいしかしない。

冬は週一回。

めんどくさいから。

あと、乾燥肌だから。

けれど、美容師さんには、いつも、髪と地肌がきれいだと褒められる。



私のこれらの行いが、ナチュラリストがやりそうなことだと、意味のない会話の相手たちは爆笑していた。


ナチュラリストを笑ったのではない。

私を笑ったのだ。


私が、ジャンクフードをこよなく愛し、環境問題には大して興味をしめさず、ナチュラルという単語とほど遠いということを、それらの人は知っているからだ。


ようするに、めんどくさがりと単なる自己中は、ナチュラリストに近い。


ナチュラリストとの違いは、その主張。

私の主張は、自分が快適であること。

地球は知らんとまでは言わないが、地球は人間が勝てる相手だとそもそも思っていない。

人間に地球を滅ぼすのは無理だと、私は思っている。

滅ぶとしたら、ただ、人間、その他生物が滅ぶだけだ。



主張は違うが、やってることは似たようなこと。

それを大笑いされたのだ。


意識が行動を作るとして、その意識は違っても、行動は同じこともあるということ。


意味のない会話は、たまには気づきをもたらす。

まあしかし、やはり、ほとんどは意味がない。


なぜ意味がない会話を30年以上続けているかといえば、ただ、面白いからだ。