内側が影響してる外側。政治。

さっきの話の続き。

内側が外側を変える、意識が現実を作るの非常にわかりやすい例がある。
今、毎日のように、話題の中心をしめるものだ。

政治だ。

多くの人の内側、意識が反映されたものが政治だ。
政治家は当選しなければ、政治をすることはできない。


今、私たちが眺めているのは、義務と権利を放棄するという多数の人の内側と意識が反映された結果だ。


私が住む自治体の長は、現在、非常に評判がいいが、彼らと国の長には大きな違いがひとつある。
彼らは、個人の票で当選した人々だ。
ここを切り抜けなければ、みなの気持ちを掴み続けねば、彼らには次はない。

彼らにはやりたいことがある。
彼らが所属するのは、そのために始まった政党だ。
命がけで、事態をなんとかしようとするだろう。
次の票が必要だからだ。

 
日本は、間接民主主義だから、国の長は自分たちでは選べない。
しかし、長になる可能性がある国会議員を選ぶことはできる。

そこで、落とせばいい。
いくらでも可能だ。
しかしながら、国政選挙の投票率が尋常でなく低い。
変な話、投票に来ず、大した税金を納めない国民がどうなろうが、知ったこっちゃなかろう。

たくさん税金を納めて団体票をくれる法人を、真っ先に救おうとしたのは、非常にヘルシーな感じがする。


地盤があれば、団体票で当選できる。
現在のトップは、自力で登ってきた人たちではない。
優れた政治家だった人の子孫なだけだが、その人たちを国会議員に選んだのは、誰でもない国民だ。
投票しないという方法で。


今、目にしていることは、投票率の低さという意識と思想が生み出した現実だと私は感じている。


だから、私は、あんまり、政治に本気では腹が立たない。
自分たちが悪かったのだと、私は感じている。
つけを払っている気分だ。
(私は選挙には必ず行くけど。)


投票という行動なくして、政治は変わらない。
デモで変わった政治は、日本は歴史的には見られない。
やるなら革命までやらないと無理だが、日本は気質が革命向きの国ではない。


日本人好みの温和にいく方法は、投票だと思う。