凶器か愛か
おおよそ10年前に独立した時期に出会ったセッションの同業者で、私の周りに残った人が2人。
結果そうだったのだが、2人は、どちらもデザインに関わる仕事を以前にしていた人だった。
ひとりは、大学四年生の時に大学で企業からの求人募集を見ていた時に、目に留まった企業で、商品デザインをしていた人だった。
企業の課題が面白く、「自分の親指を商品化して売れ」で、応募したくなったのだが、応募期限が切れていた。
私は、真面目に就職活動はしなかった。
親が泣くまで就職する気がなかったからだ。
もうひとりは、印刷会社で長くデザインしていた色博士だった。
2人共、違う道を通っても、きっとどこかで出会った人達だろうと感じている。
通る道は違っても、出会うべき人にはきっと出会える。
最初のひとりは、今、毎日のように仕事のやりとりがある。
後のひとりとも、よくやりとりがある。
この二人はもちろん、私はサイコパス論には、大笑いで賛同。
そうでしょうね!と。
明るいサイコパス。
ようは、脳みそがちょっと人と違う。
物の見方が、人とちょっと違う。
感じ方がちょっと違う。
違いを人に役立つように使わなければ犯罪者。
違いを人のために使えば、愛される変わり者。
言葉を凶器に使うか、愛のために使うかだけの話だ。