タイトルなし

最近手をつけたことは、最低、32やる必要がある作業と判明。
物作りの相方さんは、「死にもの狂い」と、それを評した。

半分できていた作業があったのだが、私たちは、それをゼロからやり直すことにしたのだ。

いつもは、相方さんが先に作業する。
今回は、私が先だ。
順番もやり方もいつもとは違う。

最後は、紙に落とし込むが、紙製品を作るために、先に映像を作る。
やりだしてから気がついた。

だいたい、そんなもんだ。
企画はあるが、プロセスは、勝手にはじまるまでわからない。
それが面白いのだけれど。


それにしても、精神的に死の近くまで行くと、毎回、何かが変わる。
人生に何回もそういうことを経験する必要がある自分はどうかとたまに思うが、ネタになるのでよしとする。


さて。

「スケッチブックを持って、旅をしながら、絵本を描いて暮らしたい。」

29才で離婚した後、逃げた会社に戻り、毎晩毎晩、夜中まで働き、深夜ラーメンやか居酒屋で、わあ〜っとその日の愚痴を発散していた29才の私が描いた夢に、46才の死にかけの気分を味わっていた最中のハイテンションな私は手を伸ばした。

過去にも経験があるが、どうやら、私は死にかけの気分になると、ハイテンションになる傾向がある。
精神状態がとんでもなくよくなる。


12才。
春休みごとに、広島から山口へ続く電車の窓から見る木蓮を、祖母と一緒に数えるのが好きだった。
それで、木蓮の精を主人公にしたお話をノートに書いた。
月夜の話。


8才。
ひとりでお留守番するときは、パウンドケーキ用に母が冷蔵庫に常備していたレーズンを、勝手に袋ごとだしてきて食べながら、紙芝居かものがたりを書いて遊んだ。


5才。
「来てごらん。」
玄関で母が呼んだ。
段ボールがそこにはあった。
段ボールの中には、きれいな色の絵本がたくさんたくさん入っていた。

「全部、私の?」と私は聞いた。
まだ29才だった母は笑って、「そうよ。全部、あなたの」と言った。

そして、世界が輝いた。



私は、人生を20年ロスしている。
自分の人生から逃げ出そうとすると、元に戻るまでに、それくらい時間はかかる。

不思議なことだが、あの二週間が過ぎた後、私は、人生がぱちりとはまった感じがした。


やり切った、と、私は思った。


そして、しばらく前、相方さんは、なぜ、私が、黄色いバスを望むようになったかまでの話を書け、と言った。


描いた夢を、叶えにいこう。
奥深くで、願い続けた夢を叶えにいこう。

夢の叶え方こそ、私が20年、研究し続けたことだ。
やり方は頭に入ってる。
体も覚えた。


ただ、愛と希望と友情、信念を抱き続ければいい。
持つものを分かち合えばいい。
己の無力を強さにし、助けてもらえばいい。
他人の夢が叶うのに、協力すればいい。
感謝を表せばいい。
自分の夢が叶う中で、他人の夢も叶うように願えばいい。



夢が叶ったその先に、黄色いバスが待っている。
まずは、自分が先だ。


黄色いバスのパートナーも、自分の夢を叶えはじめている。
私たちが先だ。


それから、夢見る力を、配りにいこう。
愛と希望と友情を、配りにいこう。


ジーザス。
あなたは、すごい。