ついていくんじゃなくて、生み出す
最近、今、はじまった時代は、女性性が必要だなとよく感じる。
時代についていこうとすると、ずっこける。
誰もしたことがないはずだけれど、私たちは全員、時代を作る側だ。
新しいものを生み出す。
女性性が関係する要素だ。
時代を作品として考えるなら、作る側にいる人が、まだ存在しないものについていこうとしたなら、その作品はいつまでもいつまでも、生みの苦しみを味わうことになる。
生み出すまでは生まれない。
それが、作品だ。
例えば。
政府から発表された新しい生活様式。
これは、新しいという名の古い時代の産物だ。
生活様式は、生まれるものだ。
パンを食べろと政府が命令したので、今、街にパンやさんが溢れているわけでも、女性もズボンを履けと命令されたから、女性たちはパンツスーツを着たりするようになったわけではない。
それは、過去の日本にはなく、江戸時代が終わった後に、外から入ってきて生まれた生活様式だ。
女性が、男性に好かれ、男性に従い、男性に仕えるためだけに働かなくてよくなった時代に、ようやく当たり前として存在できるようになった生活様式だ。
ズボンは昔、男装だった。
生活様式を誰かに指示される必要があるのは、小さな子供くらいのもので、大人は自分で必要なように、好むように、生み出す。
普段だって、誰でもしている。
ただ、普段していることは、時代というすでに出来上がった土台がある上にしていること。
その時代は、2000年は継続してきた時代だ。
動きはじめているのは、2000年継続してきた時代だ。
その時代の終わりの中を生き、そして、次の時代の息吹を作る。
私たちの寿命は短いから、きっと、今日生まれる赤ちゃんも、この新しい時代が落ち着くまでは生きていない。
けれど、赤ちゃんは、新しい時代と共に生まれた赤ちゃんだ。
知ってる人は知っているけれど、西暦のはじまりみたいなもんだ。
同じように、新しい時代のはじまりには、何人もの数えきれない赤ちゃんが生まれる。
新しい時代を生きる赤ちゃん達だ。
時代の変わり目に、そこにあった日常は、きっといつも、こんな感じだったのだろう。
普通。
存在するのは、個人の人生。
今回も、現時点で、アレの影響がどれくらい生活に及んでいるかは、人それぞれだ。
私の知る人に、都会にいるけれど、ひとり、何ごともなかったように以前と全く変わらない生活をしている人がいる。
毎日、「自粛疲れという人にむかつく。僕も休みたい」と、自分が休めないことに文句を言っている。
夫だ。
彼は、影響を受けていない。
リモートにしようがない仕事をしている。
ただし、彼は個人としては、未体験の経験をしている。
彼の家庭と会社本体はリモート運営されているから、リモートには参加している。
彼は関西から出て生活したことが過去にないけれど、今は街の気質が関西とはかなり違う地域にいる。
五十年近く起きなかったことが起きている。
暮らしが変わらないので彼は気づいてないが、彼の人生は大転換期にはある。
病気や世の中の話とは違う流れに、彼個人の人生の流れが存在しているだけだ。
時代を読もうとすると、後になり、遅れる。
ルールブックそのものが変わる時は、ルールを読むのではなく、開発側に飛び込む必要がある。
読めないからだ。
なぜなら、時代は今から生まれるし、そこに関わる人数が70億人いる。
加えて、世界同時発生だ。
これは、人類は経験したことがない。
未確定な要素が多すぎる。
私たちは全員、生み出す側にいる。
ついていく側にいるのではない。
常識は捨てて、自分の頭で考える必要がある。
何を生み出したいか?
人の命を守ること、人が飢えないようにすること、笑いながら楽しみながら進むことを、たくさんの人がすでに選んだような気配は、インターネットからは感じる。
けれど、同時に世界はきな臭い。
古いやり方で、新しい時代にも権力を握り続けようとしている国がある。
このやり方は、ここからも残り続けるのだろうか?
民衆が、個人を考えるなら、そのやり方が世界の9割にとってどれほどアホくさいことか、そこに使うお金を自分たちに使ってくれたなら、世界から飢えは一瞬で消えること。
個人の人生をどれだけ大事に考えるか。
大きく変わるのは、そこではないかと思う。
個人の人生をより豊かなクオリティにしていくこと、個人の集まりの社会になっていくこと。
だから、多様になる。
個人はバラバラだから。
残念ながら、私は、出来上がりまでは見ることができないけれど、今日自分が精一杯生きることは、息吹の一呼吸だと信じている。
生み出す時間がはじまる。
あなたは、何が、起きればいいのでしょう?