必死になる条件。右手

今朝、浮かんだ記憶。


随分、前のことになるが。
どこかに書いたけれど、ある夏の日、私は目からビームを出しているエリクソン催眠療法士に、7-80人くらいの前で怒られた。

君は目が死んでる。
君は、もう成長しないつもりか?
君のような30、40代はいる。
人生に成功した人によくある。


その隣では、NLP(神経言語プログラミング)を構築した一人が、笑いながら言った。

君の目が、キラキラすることをしてね。


私は、見破られたと思った。
誰も気づかなかったのに。
私のことを見て、目が死んでるなどという人はいなかった。
大方の評価は、楽しそうだとか、幸せそうだとかそんな感じだった。
実際、私は幸せだった。


その後したワークで、私は、自分の手を見つめて泣いた。
私の手は、神さまがくれたと言って泣いた。
手が光り輝いていたからだ。

私は、失ったものから本当に心を解放さしようと、その頃、もがいていた。
傷は癒えていた。
けれど、喪失感を抱えながら生きていた。

傷ついていようが、喪失感を抱えていようが、人は幸せでいられるから、当時の私は幸せだった。
それは、成功だった。
何を成功というかは人それぞれだが、私の人生は、成功していた。


それで、怒られたのだ。
幸せは未来にはない、最高の一日は今ここにあると言って。


昨日、動画をひとつ作った。
音源はいつもは他の人が作ったものを使うが、昨日はなぜか、ピンとこなかったので、自分が作ったものをBGMに使った。

昨日は、録音までたどり着いたからだ。

何回か音を重ねて弾いて、簡単な曲ができた。
全部、右手で弾いた。
弾くというか、音楽を打ち込んだ。
ピアノの音は使わなかった。
グロッケンと、シンセのエアーの音を重ねた。

私が細かく動かせなかったり痺れたりするのは左手で、右手はどうもない。

作った音源は、賛美歌なので、それで私は、神さまは、私に、よく動く右手を残したと思った。
右手の指先は、実によく働く。
私は手は右利きなので(足は左利き)、右手が動けば事足りる。

ブログも、私は、右手だけで打つ。
グラフィックも、右手。


目がキラキラすること、という表現は、私には、必死になることという意味かと、私は気がついた。

そして、それから、本人にしっくりくる言葉、本人に効く言葉は、やはり、本人の中からしか生まれないなと思った。
体を動かす言葉が見つかれば、体は動く。

ただ、他人の言葉は、刺激を与えてくれる。
それは、自分では生み出せない刺激。


そして、問題がなく、必死になるのに必要なものは、右手、とわかった。


右手。
音楽。
未知。
ひとり。


他には何かある?