灯台

書くことがきつくなればなるほど、作るものが優しくなっていくこの不思議。
どっちも一人でやっているが、使う部分が違うようだ。

面白い。

きついよね?と少し気にした私に、ある友人が「それでも文章は温かいから、もう気にせず好きに書けばいいのでは?」と言った。
それを聞いて、少しほっとした。


世界には、二つの流れが生まれてる。
元通りになろうとする流れと、新しいいつもを生み出していく流れ。

ひとりの人間の中にも、必ず、どちらもの流れがある。
これは私が見てきた限り、今回に限らず、人が、変容していく時に、必ず生まれる要素だ。
揺り戻しみたいなことは、必ずある。

(そこで、前に戻ることは、割と多い。変わりたいという思いに勝つ何か満たしたいものがある時に。)


二つの流れがある時、人は少し精神的にしんどいことが多い。
前が悪くなかった人ほど、しんどい傾向は強い。


今回がいつもと違うのは、個人が自分の人生の中で、自分のペースで人生を変容させていくのとは違い、これが、外側からの刺激で起きているということだ。
そして、それが、目に見えないものだということ。

普段、自分のペースで人生を進めていて、それがうまくいっていた人ほど、イライラすることもあるかもしれない。
先は読めない。
流動的だ。

しかし、変容は、いつでも流動的だ。


そして、変容に、いつでも恐怖や不安はつきものだ。
変わる時に、人は、未知に対して、必ず不安を感じる。
全く不安を感じないとしたら、それは、崖から落ちるタイプの人だ。

変容の際に感じる不安や恐怖は、人を慎重にするという効能がある。
崖から落ちないように。
多少は必要だ。



というわけで、何が理由で始まっているとしても、今のこれを、普通の人の変容と同じに考えるなら。
個人に落とし込むなら、普通の変容と変わらないから。

がむしゃらにやれば、いいというもんではない。

まずは、アウトカムが必要だ。
自分自身について。
社会についてのアウトカムは、この場合、有効ではない。
周囲の人についてのアウトカムも働かない。
変えられるものは、自分だけだ。


周囲や社会については、祈るしかない。



変容した先が、希望が持てる場所であると信じられるように。
いわば、灯台を作るみたいなもの。

2つの流れがあるときは、そこに渦が生まれる。
さまざまな潮の流れが生まれる。

自分のたどり着く先が、光っていなければ、海の真ん中で、船は波にのまれて、くるくる回る。

たどり着く先がわかっているなら、潮目が灯台へ向かう時に、全力で船をこげばよく、力任せに船をこぐ必要はない。
いつでも力任せに船をこいでいたら、本当に全力で船をこぐ必要がある時に、力が出せない。

海が凪いでいるときは、船をこいでも、大して進まない。
風が吹くのを待つ必要がある。


いつでも面白いなと思うけど、変容は、個人ひとりの要素では進まない。
必ず、外的な影響を受ける。
そして、変わりたい!と騒いでも変わらないのに、ある日、ふっと気づかない間に変わっていたりする。

灯台へ向かう潮目が、はっきり見えたりする。

潮目は、自分では作れない。
今でいうなら、世の中の流れが、この潮目にあたるだろう。

よく耳を澄まして、目を凝らして風の流れを見て、あとは、それぞれの直感が知らせる「今」を見極める。




と書いていたら、海が見たくなった。
海に行きたい。