自分勝手

続き。

他に何かある?と問いかけたら。


自分勝手。


一夜明け、自分勝手というワードが返ってきた。
自分に質問を投げたら、あまり考えこむ必要はない。
脳は指示には従う。
考えてくれと指示しておけば、寝ている間に頑張って解析してくれる。


だから、私が、考えこむ時間はだいたい短い。
寝ている時の自分の脳が、自分のことをやるには適していると、私は思っているから。
起きている間は、別に考えなくてはいけないことが山とある。
自分自身のことを考える時間など、はっきり言って、今の私にはない。

起きている自分は、疑問と質問、指示または祈りの言葉にたどり着けばいい。
(絶不調の時は、そこにたどり着かないけれど。)

考えごとには行動はいらない。
起きてる間は、行動が優先。
事態を進める時間が起きてる時間。
自分の調整は寝ている間にやる。

だから、私は、嫌なことがあった日は、ものすごく早く寝る。
できるだけ、その時点では、その嫌なことは他人には喋らない。
言っても変わらないから。
そして、まだその瞬間は、ネタにもなっていないから。


というわけで、自分勝手。


必死になるのにひとりが必要な理由は、自分勝手。

私は社会性はある(と思う)し、割と他人に気を使う人だ(と思う)が、基本、根っこは自分勝手だ。
役割を持たない私と付き合っている家族や友人は、そこに異論はないだろう。
他人は知るかよというところがあり、これに夫は、首を縦に10回は振るだろう。


父は、昔、よく私に言った。
「お前のように自分勝手なやつは、山の中で炭焼きでもして暮らせ。」

残念ながら、私は、炭焼きが何かを知らなかったが、山の中にひとりで暮らす仕事のようだということはわかった。


今、私が自分勝手で困ることがある人は、夫くらいだろう。
(ただこの人は、変わってる人で、そもそも、私への期待値がものすごく低い。猫の世話をちゃんとして、元気でいることくらいしか期待されていない気がする。)

そういうわけで現在、自分勝手は、欠点としてはあまり浮上しない。


ただし、根っこは変わらない。
私は、非常な努力のもとに、他人を気づかうこと、他人を思いやることを身につけた。


夫は、サイコパスと私を呼ぶ。
友人も、おそらく、それには異論がない。
私は、空気を非常に読むが、読まない。

仕事に関しては、それを行う人間の感情が最優先にはならない。
だから今は、仕事では、感情を前面に出してくる人とは組まない。
クライアントは別だ。
身内側のはなし。


私が怒らないようにしているのは、本気で怒った自分の冷酷さを知っているからだ。

しかしながら、面白いのは、私の仕事のほとんどは、心に関わることで、私は、自分がサイコパスなので、それが成立すると思っている。
なにしろ冷静だから。
俯瞰して見てる。


しかしながら、世間の私への評価は、一般的には温かい人だ。
これは、一度死にかけた後にわかるようになった温もりだ。

温もりや友情は知ってるサイコパス。
人間味はある。
しかし、根っこが変わったわけではない。


これは、私の長所なのだと、私は今朝気がついた。

自分勝手。
自分の好きなようにできること。


ひとりの世界では、これは長所なのだと気がついた。
感情のない世界で。


そして気がついたのは、今、だいたい私に仕事を依頼してきたり、私が組んだりする人たちは、最初から「好きにやれ」と言ってくることだった。

物作りで組む人は、特にその傾向が強い。

自分勝手な人が、ハイパフォーマンスなのは、やはり、自分の好きにしている時なのだろう。


なるほどね。

自分勝手。