必死になる条件



リソース。

この場合のリソースの定義。
自分が好きまたは価値を認めている。
なおかつ、自分が持っているもの。


なんでも、さっさと、ブログに書きゃいいのよと私が思ったのは、昨日。
一人で考えても浮かばないのに、ブログに書くと話は進む。

それから、私は昨日祈った。
答えを教えてちょうだいと。
ジーザスに。


ブログは書いた後から、そりゃそうか!実験だからね!人さまに見せてなんぼだ!と、だいたい気付く。
分けないものには与えない。
ジーザスは徹底している。
私が分け続けているのは、頭の中と人生だ。
書かない方がかっこいいことも沢山あるけど、それが表に出ないから、できない人が沢山いるのも知っている。
実験は、試行錯誤。
いきなりうまくいくことなど、まあ、ほとんどない。


というわけで、昨日、私の頭に、シンセサイザーが浮かんだ。
そして、パソコン。

経験的に、こういう時は、それがどんなに脈絡ない突飛な思いつきでも従った方がいいのである。
(だから、ちゃんとした人の方が変化は一般的には遅い。そこに整合性を求めようとするから。)


そして、私は、昨日、5時間くらい、シンセサイザーと格闘していた。
「必死で」遊んでいた。

必死になろうなどとは思わなかった。
私は、ただ、必死だった。


この場合、必死になる方法を見つけるリソースとして働いたのは、シンセサイザー。
私はその価値を認めている。
そして、持っていた。


そして、今朝、目覚めて。
自分が必死になる時に必要な要素がいくつか浮かんだ。
三つの人生の事象の中にあった共通事項を考えればよかった。

ポイントは、事実を探すことだ。
記憶をリソースとして使う時のポイントは、感情を再現するのではなく、事実を探すこと。


二週間。
ドラクエ中学生。
そして、昨日。


ひとつめ。
これはすでに書いているが、私が一人であること。
ドラクエ中学生には、家族がいたが、家族の存在は無視していなければ、一日中、ゲームをしていたりはしない。
家族はいても邪魔しないのでいい。


ともかく精神的に一人の状態でなければ、私は全力を出さない。
なぜかは知らないが全力は出さない。
私の全力状態は、家族しか見ないということだろう。
ようは、家の中で一人。

安全な場所が必要ということだろう。
そうね。
周りに対して意識しなくなるから、安全じゃなきゃ危ないわね。



ふたつめ。

わからない、未知、謎、理解できない、難しいを抱えていること。
頭が理解できない何かが必要。
未知がリソース。


二週間は、未知だった。

ドラクエは謎だった。難しかった。
私は、ドラクエは最新のバージョン以外は全部解いたが、その時私がしていたのは、その中で一番難しかった分だと思う。
今のものは解きやすい。
ゲームが賢くなったから、簡単になった。

シンセサイザーは持っていたが、私は機能をちゃんと把握していない。
キーボードとして購入したからだ。
どこを触れば何ができるかが、よくわからない。
私は動画に使う音が録音したかったのだが、昨日はそこまでいかなかった。
ついうっかりリズムに合わせて、一人でDJ遊びをしてしまった。
同じ曲をリズムと音色を変えて、延々とアレンジして遊んでしまい、三時間くらいはそれだった。


三つ目。

音楽があること。
二週間には、音楽があった。
ドラクエにも、音楽があった。
昨日は、音楽そのものだ。

そういえば、グラフィックデザインをする時にも、先に作りたいものの音楽を探す。
音がなければ、色が見えない。

私は、必死になるには、音楽がいる。




さて三つわかった。
他には何かある?