お花畑の世界

心配しなくて大丈夫。
お花畑の世界には、お花畑の世界の悩みや問題がある。
退屈することはない。


幸せになったその後、退屈することはない。
心配無用。


10年前の私に、だれか教えて欲しかったことを、今、時々言う。

当時、私は考えていた。
あなたは、中途半端に幸せそうだと言われ続けながら。

私は考えていた。
本当に幸せになってしまったら、退屈じゃないかしら?

私は、絵本や書物や絵画の中に存在する天国に憧れなかった。
アダムとイブが住んでいたという楽園にも。

天国とは退屈そうな世界だのう、と、幼少期より私は思っていた。
うふふふ、あははは、笑ってるだけで、何が楽しいのかしら?と。

幸せな世界=天国=退屈、という図式になっていたようだ。

私が、最後まで、悩んだのは、退屈ではないだろうか?ということだった。


今、私は、割と多くの人が、この図式を頭の中に持つことを知っている。
そして、それが、その図式が、時に、何かのあと一歩のところまで来た時に、行く手を阻むのを、セッションを始めたあと、何度も見た。

これは、今の時代だから、起こりうることだなと思いつつ。
日本は特に。

現状、ある程度、恵まれていて、どうしてもそこから逃れなければいけない状況が、ある種、ある意味では、すでに天国のような場所には存在しないことがある。

そして、天国のような場所には、問題があり、それは日々を退屈から遠ざけてくれる。

幸せだ、と認めない限りは、幸せになるために個を追求できる。
それは、楽しい。


そして、幸せになりお花畑に住み始めたら、それは失う、、、、退屈だけが待っている。
過去、私の中にあったそれ、退屈を恐れる気持ちが、さまざまな人の中にもあることを、今の私は知っている。

ちなみに、こんな時代は過去にはないので、いや、アトランティスくらいにはあったかもしれないけど、それ以外にはないので、哲学や心理学は、こんないわゆる過去からみれば贅沢な精神構造については研究されていない。
少なくとも、私が知る限りは。


お花畑のその後は、心配しなくても退屈しない。
お花畑にも、悩みも問題もある。
ただ、お花畑に見えるだけだ。

だれかが幸せなことが、だれかを困らせることはない。