あえて過去を現在に引っ張りこむ

癒しの過程では、過去を現在に引っ張りこまない、過去を過去にする作業をすることがある。

体が、今と過去の区別がついておらず、反応に過去の体験の影響が出ていて、それが現在に悪影響を与えていると考えられる時だ。

それは無意識化の話だけではなく、意識上のことでも。


ここしばらく、メキシコ時代の話を時々書く中、何やってんのかな?と疑問に感じていた。
何か理由があって、自分はそこを思い出している気がしていた。
ただ、懐かしむためではなく。


そして、昨日の夜、ああ、わかった!と思った。

私は、過去を今に引っ張りこもうとしてる。


私が、今、欲しいと思う感覚、環境を、幼い私は持っていたから。
過去持っていて、今、持っていないものがある。

それを、今に引っ張りこもうとしているんだ、と。


無意識には、過去も今もない。
無意識は、再現しようとする。
無意識は、常に、よりよくあるように望む。

私は、気がついてなかったけれど、無意識が持つその特性を使おうとしていて、体全体で、その過去持っていた感覚を思い出すことで、過去を現在と未来を作るリソースとして使おうとしているのだろう。

思い出しているのは、金銭的に恵まれていて、広い家に住み、自由にのびのび生きていた時代の私だ。


オックスフォードのために。

オックスフォード。
ああ、そうか、、、と思った。

私がイメージしていたその空間の広さは、あの頃いた家の広さと同じだ、と私は気がついた。
自分が最も快適だと感じる広さに、私は、私を連れて行こうとしている。

その家は、来客が多かったので、家の中はいつでも片付いていた。
まあ、掃除はメイドさんがしていたのだが。

あ、そうか。
オックスフォードの掃除はルンバにしてもらうと決めているのは、メイドさんか、、、と思った。


それから、私が書いているのは、食べものにまつわる思い出だと気がついた。

私は食に執着がないはずで、むしろ、食にまつわる嫌な思い出の方が多かったはずなのだけど、メキシコを思い出す時、食べものが美味しかったことがついてくる。
当時、学校はお弁当持参だったので、給食の悲劇もそこにはなかった。
母は、私が食べられないものはお弁当には入れなかった。
母は、料理が上手で、お弁当は美味しかった。
私は食が細かったので、まずは、食べさせることが優先だったからだ。


場所、食べもの、その2つの要素で、ああ、、、、、わかった、と思った。


私がメキシコにいたのは7-10才だ。
ちょうどその年齢の時代に、人は、自分にとって、心地いいと感じる環境を覚えると言われている。


そして、私は、私がこれからしようとしていることは、私の暮らしをまるごと入れ替えて、別の場所に持っていく作業だと気がついた。


私が、これが快適だと確実に感じる状態を、毎日の中に作り出す作業。
人生のベースである日常を、まるごと入れ替える。

住環境。食環境。

そして、料理を覚えよう、と思った。
私が食べたいものは、私が作るしかない。

私の食の好みは、和ではない。
私の住の好みも、和ではない。

家族は違う。
7-10才にメキシコにいたのは、わたし1人だ。


私は、自分が過去に感じた孤独の正体を知った。
そして、同時に、その孤独の元が、今、私の未来に、最大のリソースとして働こうとし始めていることに気がついた。

無意識は、再現しようとする。

ならば、自由にやらせればいい。

ただ、その再現の方法は、7-10才の私は知らない。
私は、親が与えた環境の中にいた。
そして、親も、会社が与えた環境、会社の指示でそこにいた。

方法は、また別のリソースを使う必要がある。


だが、可能性のチャンスを持たない時、無意識は協力してこないから、私は方法のすべてにまだ気がついていないけれど、私がその可能性のチャンスの中にいるはずだ、と思った。


オックスフォードは建つ。

過去を現在に突っ込むことで。


私は、はっきり確信した。


そして、あの頃憧れだった国にずっと住んできて、憧れの中で苦しんだことにも気がついた。
日本に、当時の私は憧れたのだ。

憧れの中をずっと生きてきた。