日記

仕事でもプライベートでも、ここ一か月程会う人達が、ことごとく、新しいチャレンジの中にいる。

そんな中、週末、友人達と二回ほど過ごして、私の中に、何かしっかりした覚悟のようなものが生まれた。

自分の目線を誰に向けるか、だ。


週末会った友人の一人は、自分には何も問題がないという友人だった。
私と彼女は、高校時代からの付き合いだ。
大学を含めて、5年間同じクラスだった。
3ヶ月程は、アメリカで、同じ家の中で暮らした。
私は、自分のルームメイトとうまくいっていなかったのもあり、彼女ともうひとりの部屋に入り浸りだった。

彼女は柔らかいけれど芯が強い人で、自らは問題を作らない。
だから、彼女の周りには問題が少ない。
今、問題がないのも知っていた。
彼女もいろいろ抱えてはいるが、問題ではないのを知っていた。
だからこそ、私は、黄色いバスの話を、最初に彼女に声をかけた。
私にとって、黄色いバスは、自分たちの問題をごまかしたり、何かを満たすために始めるものではなかったからだ。

また、彼女は、問題を面白がることを知っていた。
私が、過去、様々に問題を抱えていた間、彼女は週に一度のペースで、私の話を電話で聞いていたが、彼女はいつでも楽しんでいた。
私の話が、連続ドラマより面白いと言って。

チャリティに問題はつきものだ。
彼女がそばにいれば、私はそれを楽しめる、と思った。


週末に会ったもうひとりの友人もまた、高校のクラスメイトだった。
黄色いバスの彼女とも同じクラスだったが、グループは違った。
私と黄色いバスの彼女も、グループは違った。
私にも所属していたグループはあったのだが、私は、あまりグループにこだわらず個人的にいろんな人と付き合った。

こちらの彼女は、もう数年、配偶者が植物状態で入院している。
しかし、彼女は不幸せではない。
いろんなことを乗り越えて、今、また新しいチャレンジをしようとしている。
私は彼女を気の毒だと思ったことはない。

彼女とゲラゲラ笑いながら話をする中で、私の腹はなんだか決まり始めていた。


彼女たちと同じ世界で生きよう、と。
自分が勉強したこと、学んだこと、得た知識をその世界の中で使おう。

帰ろう、と思った。


そして、では、やはりオックスフォードは、私が生まれた地域に建つと思った。
チャリティや、今日を懸命に生きる人が休憩したり、内緒話が行われたり、そういう場所。

私のチャレンジ。
目線を逸らさないことが、私の新しいチャレンジ。