体の中でうごめくものがたり

シンデレラを読んだ時、私は、魔法使いになりたいと思った。
シンデレラにはちっとも憧れなかった。
一生懸命生きてれば、誰かが助けに来てくれて、勝手に幸せになれるとは、私には思えなかった。
シンデレラが美人だっただけだと思った。
きれいにしておいた方がいいなとだけ覚えた。
魔法使いは、かぼちゃやネズミといった大したものではないものを、シンデレラに役立つものに変えた。
すごいや!と思った。


メアリーポピンズを読んだ時、彼女になりたいと思った。
傘で空が飛べるなんて!
お砂糖で人を幸せにできるなんて。
すごいや!
傘も砂糖も、その辺にゴロゴロしている。
小さな私は、傘で空を飛ぶ練習をしようとして何本かの傘を破壊し怒られた。

お姫様ものには、しょっちゅう、魔法使いやら妖精やらが登場し、グッズを使ったり、魔法の言葉で主人公を助けた。

もちろん、悪い魔法使いや悪い妖精もいたけれど、主人公にとって悪者だっただけで、本当に、それらの魔法使いや妖精が悪者なのかはいまだにわからない。
悪い魔法使いや妖精の顔も好きじゃなかった。
そして、悪い魔法使いや悪い妖精は、あまり楽しそうに見えなかったので、誰かに意地悪することはそう楽しいことではないのだろうと思った。

ともかくいつでも、私は、ものがたりの中の魔法使いや妖精に惹きつけられた。
なんでもないものを、ステキなものに変えることができるなんてすごい!と。

ハリーポッターも好きだ。
あれはもっと本格的に魔法だが。
それでも、魔法の道具は、杖やほうきで、これも大したものではない。


魔法使いたちは、大したものではない日常にあるものを役立つ何かに変える。
また、大したものではない日常にあるものが、魔法の道具だ。

そして言葉を使う。
魔法の呪文。


大したものではない日常にあるもの、言葉。

私が幸せになるのに必要なものは、いつでも大層なものではないのはこのあたりが影響してるかもね、とふと思った。
ものがたりの中の誰に心惹かれるかで、いろいろ変わってくるのだろう。
好みの話だ。

お姫様たちは、待つ時間が長いことが多かったのと、やたらと閉じ込められる傾向があったので、つまらなさそうねと私は感じていた。

ものがたりのお姫様には憧れなかったが、現実を生きたお姫様には少し憧れた。
これはもう少し大きくなってから。
中世ヨーロッパのドレスは着てみたかった。
マリーアントワネットの趣味には悶えた。



幸せになるための道具を日常にないものを求めるとそれは、たとえば、ドラゴン退治に向かった戦士のものがたりのように、戦いに満ちることとなる。
冒険自体は面白そうだが、私は体力ないので力技はほぼ無理で、まあドラゴンには簡単に負けるだろう。
ドラゴンに効く魔法の開発に励む方が向いていそうだし、迷惑をかけないのであればドラゴンはいてもいい。

しかし、このドラゴン退治の物語は、過去には私の中で繰り広げられていた可能性がある。
戦いに満ちていた。
自分自身とも、他人とも。

今は、ドラゴンを退治するより、それを乗りこなす方が楽しいのではないかと感じている。
ドラゴンが私に意味するものは、ダイナミックなパワーと自由に空を飛び回る行動力だ。

あ、、、飛行機か。


さまざまなものがたりが体の中でうごめく。