バインド。低温やけどvs庭園
私が何かをメタファーで考えると、時折、ある庭が登場する。
昨日も、庭園という名で登場した。
私の目には、はっきり美しい庭が見えていた。
不思議なのは、私には、その庭がどこなのかがわからないことだ。
けれど、その庭は、はっきりともう現実くらいに細部まで見えていて、私は「自分がその庭にいたことがある」のを知っている。
けれど、それが、いつ、どこで、なのかが、さっぱりわからない。
その庭は、とても美しい。
どこかの中庭のようではある。
白いタイルに、白いパーゴラ、白い噴水に、咲き誇る花々。
柔らかな気持ちいい風が吹いていて、鳥がさえずっている。
雲ひとつない青空に、暖かい陽気。
柔らかい日差し。
夜になれば使うのだろうランタンもある。
時には虹がかかる。
私は、噴水前のベンチに座っている。
そこにいれば、私は機嫌がいい。
幸福感に満ち満ちている。
そこまではっきりわかるのに、私には、その記憶がない。
自分はそこにいたことがある、という記憶しかない。
けれど、この庭は、私をたびたび助けてきた。
かなり強いリソースだ。
しかし、庭、と、私が言葉ではっきり書いたり言ったりしたのは、今回が初めてかもしれない。
庭にあるものは、全て、それぞれがリソースで、そのひとつひとつが力を持つ。
それで、大抵は、その中のひとつが登場し、それで事足りたからだ。
庭全体が登場する必要があったのは、今回が初めてだ。
この庭は、静かで穏やかだが、非常にパワフルだ。
実際、一夜明けた今朝、私の気分は、昨日までとはまるで違う。
胸の痛みはなりをひそめた。
私は長い時間眠り、そして、くたくたで目が覚めたが、今朝、気になっているのは、もう、低温やけどのことではなく、庭園のことだ。
「この庭園は、どこから来たの?」が、今、私の頭に浮かぶ質問だ。
それを知ることは、とても意味があるような気がした。
どこから来たの?
すると、庭園は、静かに形を変えた。
時を逆回しして。
そして、私は、ただの荒れた草地を見た。
そして、それから、私は知った。
氷で胸が痛むたびに、私は、その草地に、庭園を造園したこと。
花を植え、木を植え、水をやり、白いタイルを並べて敷き、噴水を作り、ランタンを置き、そうやって、庭園を作ったこと。
自分を守るために。
外側に壁を作るのではなく、内側に、自分を守る場所を作ったと。
それは、おそらくは、低温やけどが始まった時期が、私の人生のほんの初期だったことと関係しているだろうと推測された。
壁を作る術がない時期に、始まった話だからだ。
だからこそ、私は、これまで、誰にも語らなかったのだから。
ともかく私は知った。
その最強のリソースは、低温やけどと同じ期間をかけて、作り上げられたものであること。
それは、低温やけどがなければ、そこまで強く育たなかったリソースであること。
希望と愛。そして、友情だ。
私が、他の人より友情を育てる必要があったのには、理由がある。
他人と信頼関係を築く必要があったのにも、理由がある。
ともかく、私のそれを育てたものは、胸に刺さる氷と低温やけどだったこと。
その痛みがなければ、私の最強リソースは、育たなかった。
私は、納得した。
だから、低温やけどと庭園の大きさが同じだったのだと。
自分で作ったものだから、私は、この庭園をよく知っているのだと気がついた。
この庭園にいた時間は長い。
だからよく知っている。
けれど、私は、現実に、この庭園に行ったことはない、と、私は知った。
そして、今、自分の胸が、何もないのに、過去最大に傷んだ理由に気がついた。
自分の中にだけ存在してきたこの庭園を、私が、他人に開放するつもりなったからだと。
やめてくれ、危ない、今度こそ立ち直れないと、何かが騒いだのだろう。
ふうむ。
でも、どうなんだろうね?
いいものならば、人にも分けた方がよくない?
だいぶ、いいものだよ。
だって、愛と希望と友情だよ?
信頼もセットでついてるよ。
私は、低温やけどに語りかけた。
メタファーのいいところは、自分の一部と、少し距離を取って向き合えるところだ。
まずは、やけどを治してさ。
それはちゃんと治すからさ。
ほったらかしたりしないよ。
私は、低温やけどに言ってみた。
しかしまあ、バインド(相反する願い)があるようなので。
質問。
「そして、庭園、そして、それを他人にも開放したい。そして、それは危ないやめておけと低温やけどは言う時、私は、何が起きればいい?」
(太字がバインド。)
その質問を投げた時、私の心には、ひどくドライな見解が浮かんだ。
庭園にも、低温やけどにも、浸っている時間はすでにない。
今の私には、どちらもただ、現実を動かしていくためのことに過ぎない。
心のために、心はあるのではなく、現実を動かしていくために、心はある、と、私は思った。
そしてそれから、なんとドライなと、少し笑った。
「全てがこのようである時、私は、何が起きればいい?」