もう少しまともな思考回路が欲しい話
どんなつながりかわからないけれども。
話は続く。
実は、今朝、起きた瞬間は、私のコンディションは悪かった。
幽体離脱の話を書いている間に、どんどん体が温くなり、今、頭が、「そうだ!」となった。
今までうまく言葉にできなかったことが、言葉になった。
話は、幽体離脱でなく、その話の中で書いたことと関連している。
意識、思考、感情。
意識を変えると現実が変わるは、もはや、知られてきたことだが、これがスムーズに働くのは、その人の仕組みの中で、意識が上位にある場合だと思う。
人によって、その人を動かす仕組みの上位にあるものは、明らかに違う。
言葉にもある。
感情的な人。
論理的な人。
頭でっかち。
衝動的な人。
いろいろ。
何で、その人が動くかは異なるということを、少なくとも、他人から、その人が何が理由で動いているように見えているかが異なるということを、言葉は表している。
意識で世界を変えられるのは、意識が上位にある時。
それ以外の要素に、席をお譲り頂く必要がある。
でなければ、別のやり方の方が、その人には合っているということになるのではないか?と思った。
感情が優位で、感情で動くならば、感情が変わればいいし、論理で動くならば、論理を変えればいいし。
必ずしも、意識だけではないのではないか?
そう思った。
意識を優位に持ってくるためのセオリー、テクニックは古今東西無数にある。
宗教もそうだろう。
言葉は違いますが。
けれど、そのどれも成功はしていない。
成功しているならば、世界は今、このようではない。
感情と思考が、常に圧倒的に優位で、うごめく感情と思考が、世界の歴史を作ってきたようにみえる。
世の支配者と言われる人たちは、よくも悪くも感情と思考をコントロールしようとすることで、世を動かす。
そして、多数で構成される要素が絡む時、感情や思考に意識が勝てたことはほとんどない。
上位のポジションにある人の意識は関係しているだろうが、そうでない大多数にまで、それが波及している節はない。
歴史書として見る聖書の中もそうだ。
人間ジーザスの意識が、後の教会に波及している節はない。
喧嘩ばっかりしてる。
感情と思考が人々を動かしている。
いい悪いということではなく、きっとその方が簡単なのだ、人間には、と、なんとなく思った。
意識を上位に持ってくるのは、難しい。
なぜなら、意識は肉体に属さないから。
そういう話?と思った。
感情から離れるのが難しい人は、実に多い。
セッションで話を聞いていても、それがビジネスであれ、人生の話であれ、特にほとんどの「うまくいかない場合」には、そこに、その人の感情が絡む。
感情が優位な人は、社会の中では、現実的に有利ではないことも多い。
意識や思考は、出来事の前に存在できるが、感情は、出来事の後にしか存在しない。
だから、感情で動く人は、対応が一歩あとになり、意識や思考で動いた人の後についていくことになる。
スタートが遅れるので、不利になるのだ。
しかも、そこは、すでに、他者の意識や思考が作ったフィールドの中だ。
当然ながら、自分の自由には動きにくい。
起きた出来事に対して、反応し、対応していく後手後手にならざるを得ない。
もちろん、そこでの反応として生まれた感情から生み出された意識や思考が、その人に有用に働くこともあるかもしれない。
けれど、それは、意識が生まれなければ起きない。
そして、感情優位の人に、多くの場合は、それが起きない。
(ので、同じパターンが延々と繰り返される。)
だからつまり。
そう、keyは、感情だ。
感情ね!
意識じゃない。
テーマは感情だ!
もしくは、両者の融合を促進する。
突然、そのように、頭の中で、話は飛んだ。
私の本日のスケジュールは、色を使ったカードについての打ち合わせだ。
おそらく、朝から、私の何かが、色を決めるに当たっての情報を、送信してきていたと思われる。
はじまりは、幽体離脱。
私の何かなので、余談が多く、周り道して、感情がポイントだと知らせてきた(笑)
まあ、打ち合わせで、なぜ、感情なのかを説明せねばならないので、理由は必要だが、幽体離脱の話はいらないと思う(笑)
人が共感できないし(笑)
書いてなかったら、自分もわかんないわ、こんな話。
というように、商品企画はされていくのでありました。
コンセプト、決まり。