幽体離脱のおかげで手に入った遊び

 もう一つ。


さっきの話関連で。


聖書の中では、英語だとSpirit/スピリットとGhost/ゴーストと二語に分かれている言葉の日本語訳が、どちらも、霊だ。


私の感覚では、スピリットとゴーストは別の感覚がするが、この辺の訳の感覚が、私は、まだよくわからない。


原典はギリシャ語、アラム語、ヘブライ語だが、原典はどうなっているんだろう?

一語なのか、別の単語なのか?


(調べりゃすむ話だが。)


日本語に存在する単語を使って訳してあるのだろうから、限界はある気がするけど、外来語扱いで、カタカナ(ギリシャ語のまま)でいった方が、今の人になら、概念がわかりやすいかもしれないけどなと思ったりもしたり、しかし、そうすると、さらに、知識に偏るのかなと思ったり。


しかし、霊、は、日本語では、今は昔と意味が変わっちゃって、死人に属するものを指すのがメインな気がするけど、とか。

日本語の意味も変わりゆく。


そういう意味では、存在が長きに渡る書物は、大変だなあ。



私には、ある部分は、幽体離脱のせいでつまらなくなってしまっている聖書だが、心優しいジーザスは、私が退屈しないように、「言葉の意味を考えるという遊び」を与えてくれたように思う。


外国語と日本語の埋まらない隙間を、頭でこねくり回して遊ぶのは、大変楽しい。


正解はない壮大なパズルだ。

ひとり遊び。


聖書の単語なんて、正しい解釈をしようもなく(神学的に一つの意見すらないので)誰のために考えるもんでもないので、自由に楽しめる。


これは、幽体離脱のおかげで、手に入れたもの。


飴とムチ(笑)


あと、聖書解説の時間は、絵を描いていていい(笑)


私が、黙ってじっと座っていられるように、さまざま、手をかけてくれる、優しい神さま、それがジーザス。


(こいつは無理だと、諦めているとも言える。ええ、できないことはできません。工夫すりゃ、できる。)