ヒールザワールドの続き。

ちょっと前に書いたヒールザワールドの続き。

全部、記録しときましょ。



体感覚だけが、時折、波のように襲ってくる。


体が何か、癒す作業を必死でやっていらっしゃるようである。


たまに、自分で、クリーンな質問を投げる。

体感覚に。


そして、やがて、たどり着いた答え。

これは、低温やけどみたいなもんらしい。

じわじわと、長い時間をかけて、私は傷を負い続けてきたらしい。


「よし、痛みを具現化できた、正体を捕まえた!」と、私は思った。

名前は、低温やけど。


なぜに、体感覚をメタファー化(例えて名前をつける)するか、その理由のひとつは、ぼんやりと形のない感覚より、物質は扱いやすいからだ。

そして、名前がついたその瞬間、それは生き物になる。


「例えていうなら、なんのよう?」という質問で、体感覚は、具現化できる。


しかしながら、私は、今回、これにかなり手こずっていた。

痛みの感覚が強すぎたからだ。



ともあれ、そこまで来て、私は、する質問ができたので、自分に質問した。


「低温やけどは、何が起きて欲しい?」


普段は、何が起きればいいのでしょう?という柔らかいフレーズで尋ねる。

他人に、セッションの文脈で尋ねる時は必ず。


理由は、「本当にしんどい人に、何が起きて欲しいかを尋ねると、その人は死んでしまうことがあるからだ」と、デイビッド・グローブが言っていたという話を、聞いたことがある。


それはわかる。


25歳の私に、何が起きて欲しいか尋ねた人がいたら、今、私はここにはいない。


人から決めつけられるよりも、人からされる質問は、パワーがある。


欲しいか?と尋ねるのと、いいでしょう?と尋ねる、その小さな違いは大きい。


しかしながらこの場合、相手は、痛いのをなんとかしたいと、はっきり希望を抱く自分自身である。


低温やけどは、私の一部だ。

欲しい?でよかろう。



低温やけどは、こう言った。


「もう皮膚を新しいものに取り掛かちゃうのが早いよね。皮膚移植かなんかして。傷だらけやもん。」


メタファーは、物を言う。

ほんとに。



ご提案は、なかなかよさげな方法である。

しか〜し。


私は、質問を続ける。


「皮膚移植すると、次に、低温やけどに何が起きる?」


バーチャルシュミレーションをしてみて、その方法が効果があるか確認する必要がある。



低温やけどはこう答えた。


「また、すぐ、同じことが起きるよね。」


あかんやないか。

というわけで、皮膚移植は、採用されないことになった。



ここでまた、質問を続ける。


「それで、全てがこのようである時、低温やけどは何が起きればいい?」


低温やけどは、こう答えた。


「寒いからこんなことになるわけで、いつも春ならいいんじゃないの?温かければ、氷は溶けるから、低温やけどすることにはならないんじゃないの?」



さて、突拍子もない答えである。


メタファーで解決策を探すメリットのひとつは、このような、突拍子もない答えが飛び出すことである。


そして、現れる単語は、「必ず」、何か意味を持っている。

その人にとっての意味。

メタファーは、概念的な言葉に置き換えられる。

(置き換えられるが、わざわざ置き換える必要はない。)


一般的には、概念的な何かをメタファーにする流れの方が多いが、私は、体の方がお利口さんなので、メタファーから概念的な話に向かう方が多い。

今みたいに、体の感覚から、話がいきなりメタファーになることが多いのだ。

もしくは、いきなりメタファーか。



それから、メタファーで話をするもう一つのメリットは、中身を守れることだ。

メタファーで語られると、その現実を、話を聞いている相手は知らないままで、手助けすることができる。


今、この話を読んでいて、私が何を現実に体験したか、わかる人はいないはずだ。

それは、私は、書きたくない。

覚えてない話もあるし。



けれど、私の胸の痛みの感覚が、やけどのひりっひりした類いの痛みであることは、わかるはずだ。


メタファーは、そういうもの。

大人向けですわね。



さて、登場したのは、「寒いからこんなことになるわけで、いつも春ならいいんじゃないの?温かければ、氷は溶けるから、低温やけどすることにはならないんじゃないの?」



さあ、ここからが、腕の見せ所である。


何を尋ねる?どの言葉を拾う?


私なら、(というか、今、自分に自分でやってるのだが)


「そして、春。

春ならいいんじゃないの?という時、

その春はどこ?」


さて、答えはいかに。


「肩のあたり。胸の中。上半身いっぱい。それから、私の周り。」



場所がいっぱい登場した。


これは何を意味するかというと、尋ねることがいっぱいあるということだ。

4つについて、確認する必要がある。


さて、どこから行く?


これは簡単。


体の中からいく。

一番、感じやすいはずだから。

感じやすいと、答えやすい。


胸の中。


「そして、胸の中の春。その胸の中の春は、胸のどのあたり?」


低温やけどと同じ大きさ、同じ場所の、もう少し深いところ。

ああ、ヒリヒリしてるのは表面だけみたい。



「そして、その胸の中の春について、他に何かある?」


ぽかぽかしてる。


「そして、その胸の中の春は、どんな春?」


希望と愛がある。

ああ、春だと氷は水になるから、もしも、氷が刺さっても、私は傷つかない。

私に触れた瞬間、氷は溶ける。


この春は、心を溶かす庭園。

噴水があって、やわらかな春の日差しみたいな温もりがある。


庭園。



(ここで、春から、庭園が分離。)


さて、次にいこう。


「そして、噴水と、春の日差し、そして庭園。そして、庭園があるとき、肩のあたりの春はどこ?」



疲れてきたから、ここまでにしよう。


あとは、勝手に進めてくれい、と、私は、体にまかせることにした。


仕事だったら、ちゃんと聞きますけどね、私の体は、クリーンの手順は覚えてる。

ある程度は勝手にやる。


体が質問を覚える。


これも、メリット。

クリーンな質問は、体に効く質問ともいえるかもしれない。