私が、クリーンな質問の翻訳にこだわり続ける理由
これもそのうち、よそに書きますが、ドラフト。
ビジネス、プライベートに関わらず、他人とのやりとりで、「わかってるつもりだった」ことが引き起こすトラブルは、たくさんあるかもしれません。
例えば、わかりやすい話。
「急がないから、できる時でいいよ」とクライアントや上司に言われた書類を、本当に自分ができる時に提出する。
そして、「遅い!」と怒られる。
会社員時代、Bさんに仕事を頼まれた誰か(Aさんとします)がこういうのを、たまに聞きました。
「できる時でいいって言ったから、できる時にやったのに。期限があるなら言えばいいのに。」
また、誰か(Bさん)がAさんについてこう言うのも、たまに聞きました。
「全部言わな、わからんのか。」
この話は、誰が悪いんでしょう?
できる時でいい、を、言葉そのままに受け止めたAさん?
それとも、全部言わんでもわかるやろ、と思っていたBさん?
こういう話は、ここまで、私が、クリーンランゲージを勉強する中に読んだ資料の数々には登場していません。
私自身が、日本という社会環境の中で、クリーンな質問が活きるだろうと考えているのは、日常会話です。
例のやりとりも、もしも、Aさんが「いつまでですか?」とはっきり確認していたら、また、Bさんが、Aさんに気を使わずに、はっきりと、いつまでに書類が欲しいかを口にしていたら、存在しないストレスだったはずなのです。
そこにあったものは何でしょう?
「言葉で表現されているもの」に対する理解の違いではないかと、私は思います。
どちらが悪いのでもない。
両者に、相手は自分と同じ理解で動いているという思い込みがあり、それが原因ではないかと。
「理解や価値観は多様だ」ということは、今となっては、ある年代以下の人たちの多くが理解している気がします。
しかし、「その多様は、どう多様なのかの理解」が、日本社会の中では、どうしても薄ぼんやりとしてしまう傾向がある感じを持っています。
そして、それが薄ぼんやりとしていることが、ストレスやトラブルの元になっている印象を受けています。
相手の立場を考えて発言したり、相手を思いやることが美徳とされている社会であることは、平和や調和をキープする秘訣であるような感じは、私もしますが、しかし、日本人は全員エスパーではありません。
関わる全ての人の立場を予想はできませんし、関わる全ての人を自分の頭で思いやればクタクタになるでしょう。
また、自分がそうしたとしても、相手がそう感じるとは限りません。
Bさんはもしかしたら、仕事でアップアップしているAさんに、心理的ストレスをかけないために、優しさから、「できる時でいいよ」と言ったのかもしれません。
ただし、Bさんの中には、頼まれた仕事は1週間以内には仕上げるのが当然だ、とか、進捗は報告するのが当然だとかいう「自分にとっては当たり前のルール」が、存在していたとしたら?
当たり前のものを、人は意識はしていません。
ただ、その当たり前のルールが守られないと、人ははっきり怒りを感じることが多いようです。
それは、自分ひとりのルールだと理解していないからです。
さあ、誰もが、意識されていない自分ルールを持っています。
あなたは、それを全て、相手の立場に立って考えることができますか?
相手を思いやることができますか?
私には無理です。
だから、私は、クリーンな質問を使います。
日本社会においては、クリーンな質問は、おそらく、平和なままで、スマートに、多様な価値観や言葉の理解が共存できるための手伝いができるのではないかと推測しています。
もともとが、その質問は、心理的ダメージを受けた人々に使うために開発されています。
だから、質問が柔らかいし、スマートです。
嫌う人が多い、相手を傷つけることなく、自分が必要とする情報を引き出すことができます。
自分が推測して考えてあげるのをやめ、相手に自分で気づいてもらうのです。
新しい気づきがもたらされて、困る人はいません。
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英語で作られた質問の多くは、割とストレートな表現のことが多く、日本語の中につっこむと、そこだけ浮き上がることがたまにあります。
私自身が、何を目指しているのか、この日記を書いて、はっきり気づきました。
自分は、どこで使うための訳を探しているかにも気づきました。
英語でなら、ひとつでいけるフレーズを、日本語では、いくつかのパターンが必要なことにも気づきました。
「私は、クリーンな質問を翻訳することで何が起きればいいの?」という質問を、今、私は自分に初めて投げた気がします。
少し泣けます。
ここまで来れたことに、支えてくれた多くの方に、そして、それが可能になりそうな環境が、少しずつ生まれつつあることに、深く深く感謝します。
考えてよくなったことに、感謝します。
「さて、私は何が起きればいいのでしょう?」
平和的共存と調和。
他人と自分。
社会と自分。
自分と自分。
前に進む前に、少し、これを深めてみたいと思います。
新しい望む世界観をしっかり作り上げることが必要だと、私が気づいたからです。