軽薄な35才と90才の出会いの話
12年前のことになる。
その日、私は、セッションの仕事をしていた。
当時、私の顧客は、人生についての相談を主に持ち込んでいた。
その日、私が話したその人は、おそらくはもう天寿を全うされた後だろう。
私がその人にお会いしたその日、その人はすでに90歳過ぎていたから。
私の噂(どんな噂かは知らんけど)を聞いたと、家族に付き添われたその人は、山の中から3時間かけて会いに来られた。
足が悪くて、杖をついておられた。
貯金ゼロではじめた仕事で発注ミスをしてお金が足りなくなった、さあバイトしよ、コンビニより時給がいい、日銭が稼げるという理由、できるからというだけの理由でセッションしていた、使命感のかけらもない、若干35歳の軽薄な私のその時の気持ちを想像してみて欲しい。
逃げた〜い!がそれだ。
なんで、自分の前には、軽い話題の人が座らへんのやと、私が首を傾げていた頃だ。
もっとちゃらい話題があるだろう。
解決してもせんでも大した話ではない、悩むための悩みみたいな話がと、私は、首をよく傾げていた。
そんな35才が90才過ぎた人の人生に向き合う。
はっきり言って、もう。
とてもできるとは思えなかった。
私は、人の人生が重い、重さが怖い。
(これは今もそう。慣れたけど。)
その時、手元にあればよかったクリーンランゲージ。笑
それでも三時間かけて、足が悪い老人が自分に会いに来たという事実を前に、私は逃げだすわけにはいかなかった。
その日の情景はよく覚えているが、話した内容は、ほぼ覚えていない。
これは、私としては、非常に珍しい。
セッションでした会話は、だいたい記憶しているからだ。
クライアントの名前は覚えられなくても、顔と話は、だいたい記憶している。
だから、これは、すごく珍しい。
それくらい必死だったのだと思う。
そして、私は知った。
同じだということ。
20才も、35才も、90才も同じだ。
悩む人は、みな同じだ。
そして、歳を取れば、自動的に、悩みから解放されたり、心の使い方を覚えるわけでもないということ。
人は、悩み続けたまま、人生の最後までいくことができる。
何を話したかさっぱり覚えていないけれど、帰り際に、「心が軽くなりました」とにこりと柔らかな顔で笑ったその人の笑顔は覚えている。
そりゃ、私の力じゃない、あなたが笑ったからですと思ったことは、覚えている。
笑えば心は、自動的に軽くなる。
そのあと、私は、しまった!自分の噂がどんな噂か聞きそびれた!と悔しがった。
ええ、軽薄です。
なんとなく頭に浮かんだので、書いてみた話。