居場所

 ああ、自分はここにいていいんだという受け入れられている安心感が、自分の体の中をいっぱいに満たした瞬間が、少し前にあった。



時間はかなり遡る。


「自分の居場所がない」という足場のもろさを私が初めて感じたのは、中学生の頃だ。


物理的には居場所はあった。


状況は破綻していたが、家もあった。

両親や妹、猫という家族もいた。


学校にも通っていた。

友達もいた。


けれど、私は、「自分の居場所がない」と思った。

ここは、自分の居場所じゃない。


その思いは、どんどん強くなった。

どうして、毎日、こんなにつまらないんだろう?



しばらくして、私は、地元の環境を出ることを決めた。

ここが自分の居場所でないなら、欲しい環境に自分で行こうと思ったからだ。


高校までは地元の公立高校で十分だ派の両親を押し切り、地元から離れた私立の高校を受験した。

「あなたの偏差値では、その高校には、確実に落ちます。落ちるけども、まあ、公立には通るでしょうから、受験はご自由に」と言った担任の先生の言葉の中、私は、外の世界への切符を手にすべく、そこから3ヶ月だけ、ひたすら勉強した。


そうして受けたテストは、塾に行っていなければわからない、ひねりの効いた問題が多かった。


私は、不良になるという理由で、夜間外出禁止だったために塾には行かせてもらえなかったので(不良になる危険のない妹は、早くから塾に通っていた)、ひねりの効いた問題はさっぱりわからなかった。


同じ中学校からその学校を受験していた人達と、休み時間、答え合わせをしても、自分だけ答えが違っていた問題がいくつもあった。


今でもたまに夢に見るが、数学に至っては、裏表両面あった問題の裏半分は、全くわからなかった。

こんな感じ?と、私は、適当に答えを書いた。


私は、仕方あるまい、面接にかけよう!と決めた。

そして、面接で、「掃除は好きですか?」と尋ねられた質問に、「大好きです!」と満面の笑みで答えた。

私の部屋は、「足の踏み場もない」と形容されていた。



しかし、国語と英語以外は、答えに自信がなかった。

落ちたな、と、思った。


結果発表が届く予定の日、私は、本屋さんに公立高校の問題集を買いに行った。

あ〜あ、また三年、このままか、くそつまらんと思いながら。


暗澹たる気持ちだった。

どうせ、みんな、私は落ちると思ってる。

私だってそう思ってる。

だから、塾に行かせてくれって言ったのに。

私は、憎々しい気持ちでいっぱいだった。


そして家で、やさぐれた気持ちで寝転がって問題集を眺めていた。

公立高校は、名前さえ書いてだせば、よほどのことがない限り、内申の持ち点で通る。

やる気のだしようもない。


どうせ私の人生はこんなもんだと、世界にあきらめを感じ、ふてくされていたところに郵便が届いた。


合否通知だった。


どうせ落ちてんでしょうよ、と、雑に封筒を開けて、私は目を疑った。


合格していたからだ。

目の前にあったのは、外の世界への切符だった。


わああ〜!と、私は、声を出した。

家には誰もいなかった。


私は、そのまま学校に走って行って、職員室に直行し、大嫌いだった担任に、「受かりました」と、冷たい目で言った。


(嫌な生徒。笑)


担任は心底驚いていた様子だった。



そして、春、私は新しい環境に移った。

桜がとてもきれいな日だった。


そして、クラスについて、唖然とした。


中学校で同じクラスだった好きじゃない子が、また同じクラスだったからだ(笑)

なぜ、新しいスタートのつもりだったのに、過去の自分を知る人がそこに?!



ともあれ、私は、その後、楽しく高校生活を過ごす。


勉強にやる気になるのは、それから三十年後のことになる(笑)

そして、なぜ、あなた方は、ちゃんとやらなんだ?!あなた方のおかげで大変やないか!と、過去の自分をののしる羽目になる(笑)

(知らんがな、と、過去は言う。)


そして、ああ、ここでいい、とはっきり思えるのも、それから三十年後のことになる。