うまくいかない人間関係
私が、人が人を思い込みで見る時の理由の適当さはほんまやなあと、しみじみ納得した体験の話。
過去数年、私は、どうにもうまくいかない人間関係を抱えていた。
数年前、私は、うまくやる努力を諦め、その人間関係から離れた。
相手が、私が、その人たちとうまくやれないのは、私と母の関係が理由だと決めつけて言いふらしていると、伝聞で聞いたからだ。
私は腹は立てなかったが(いや、立てたか?笑)、あほらしくなって、関わる努力をやめた。
私と母は、過去には様々なことがあったが、すでにそれらは私自身と母のまさに血のにじむような努力と気の長さで解決済みだったからだ。
私が今、私の中に持つ子供時代は、私を愛する両親が必死に自分を育て、その中で自分も一生懸命に生きた時代だ。
私は、そのうまくいかない人間関係をシンプルに信用できなかった。
母は関係ない。
だから離れた。
しかし、全く関係を切るのは難しいようで、なぜか理由はわからなかったが、相手側からたまに連絡が入った。
連絡が入るたび、私は、恐怖を感じた。
身の危険。
連絡が重なるごとに、私の中では、信用できない思いが強まり、相手に対する嫌悪感が強くなった。
なぜ、静かにほっといてくれないのかという気持ち。
やがて数年後、ここにも書いたけれど、私は自分が、過去にあったストーカーの恐怖を奥底に抱いたまま、長い間生きてきたことに気がついた。
そしてその後、私は、ああと思った。
私が相手をどんどん嫌になったのは、しつこくされたからだと。
それが、ストーカーと同じだったから。
最初はただ信用できなかった。
それから、ストーカーのトラウマを自分は抱えていた。
そこに、やはり、母は絡んでなかった。
人が人に対して思う行動の根拠は、やはり適当だ、他人にはわからない。
その人自身もわかっていないことがあるから。
私は、勉強になったなと思い、相手に感謝した。
そしてそれから、自分にきつく戒めた。