オリンピック中止を求める人に贈る質問

 もしも誰かが、セッションにやってきて、「オリンピックを中止して欲しいんです」と言ったら、私がする質問はひとつです。


中止、という単語から判断しています。止めるを意味する言葉が入っている単語が登場した場合、それをアウトカムとは判断しません。

私だけでなく、クリーンランゲージ&シンボリックモデリングという質問の技法を使う人達であれば、同じ質問をするはずです。


質問はこう。


「オリンピックが中止になると、何が起きますか?」です。



この夏のオリンピック中止を願う人は多いですが、この質問の答えは、分かれると思います。

実際、私は、ある場所で、不特定多数を相手にアンケートを取ってみたのですが、オリンピック中止を願う人の理由は、さまざまでした。


同じように、オリンピック開催を願う人にも質問してみましたが、その人たちの答えも様々でした。


興味深かったのは、オリンピック開催に賛成の人も、中止の人も、どちらも、オリンピックがもしも開催されたら、その後、オリンピック開催をきっかけに、日本経済はガタガタになると考えている人が多いことでした。


(これは私には少し意外でした。)



さて。


私は、先週、一年ぶりに、またしても家の中に閉じ込められるはめになりました。(陰性でした。これについては、また別に。)

家に閉じ込められると私の中では何かが起きることになっているようで、去年は、動画を作り始めました。


今年、家から出られなかった数日、私は、ある実験に取り組んでいました。

人と人の繋がりに関する実験でした。

外には出られませんから、バーチャル、つまり、SNSを使って実験しました。


閉じ込められた私は思いました。

「まじで、オリンピックは勘弁してくれ。私の体がついていけなくなる。」


そう、私は、まだ生きていたいと思いました。

私にとって、オリンピックは、自分自身の命を脅かすものだと、私は判断したのです。


オリンピックが中止になると何が起きる?という最初の質問に対しての、私の答えはこうです。

「まだ生きていられる。もっと生きていたい。」


こちらの答えがセッションで登場したら、これは、アウトカム(願い、目的、ゴール)として認めます。

理由は、もっと、という単語と、〜たい、の2つです。



生きるという命そのものが登場したため、私は、自己中心的の塊として、そのある実験をすることにしたのです。


自分なりのやり方で。


平和的に、かつ、効果的に。


平和の祭典の哲学を土台にするイベントは、開催、中止の結果にかかわらず、そのプロセスはまた平和であるべきだと私は考えたのです。


なおかつ、ギリシャ生まれのものならば、論理的にやるべきだと、私は考えました。

だいたい、この国において、国民感情で何かが動いたことなどほとんどないのです。


感情ではない、理性的、論理的にやろうと、私は考えました。

淡々と。



そして一週間ほどのその実験は、今朝、終わったのですが、その最中、私は、きゃっきゃはしゃぎながら、ワクワクが止まりませんでした。

ぶっちゃけ、楽しかったのです。


これは予定外でした(笑)


生きるためにやったことなので、まあ、自分の生きるスタンスがそのまま出たのかもしれません。



ともかく。


オリンピックが中止になると、何が起きますか?


この質問はおすすめします。

なぜならば、そこには、おそらくその人が人生の中で重きを置いている価値観や、潜在的に抱えている解決すべき問題などが潜んでいる可能性が高いからです。


どさくさに紛れて、自分の大事なことをゲットしてみるのは悪くないかと思います。



使えるチャンスは、なんでも使え。


こちらをおすすめしたいと思います。


オリンピックが中止になると、何が起きますか?