共感するのをやめたら、共感しているように見え始めた話
ここ数年、いったい共感ってなんなんやろう?と、私はたまに考える。
人が、相手が自分に共感してくれていると思う時。
または、ああ、これには共感できると思う時。
その多くは、理解されてると近いニュアンスのような気がする。
または同調のような気がする。
共感は、理解や同調の同義語ではない。
けれど、そのように理解されていることが多いとして、それでも。
いったい、何をもって、人は、相手が自分に共感していると感じたり、自分が相手に共感していると感じたりするのだろう?と、私は考えた。
理由は、自分が共感することを放棄した瞬間から、他人が、私が相手に共感していると判断することが増えたからだ。
私は、他人を理解しようとすることを諦めた。
他人の理解を目や耳でたくさん見た後、理解できないという現実を受け入れた方が正しい。
そして、自分が相手を理解することは諦めて、ただ、相手の話を楽しく興味をもって聞ける工夫だけをするようになった。
そして以前よりさらに、自分の意見をはっきり言うようになった。
すると起きたことが、他人が私がその人に対して共感していたり、相手を理解していると受け止めるようになったことだった。
コミュニケーションは、私の人生史上、この数年は、本当にスムーズだ。
以前なら、もめてもおかしくなかったシチュエーションですら、心理的な葛藤は起きても、非建設的にもめなくなった。
ここには明らかに、私が数年前に出会ったやり方が関係している。
コミュニケーションスキルに関わるやり方だ。
私の内面そのものは、あまり変わっていないような気がする。
人格や精神性が向上した気はしない。
それで、コミュニケーションスキルはスキルであって、考え方は関係するが、考え方もふくめてスキルや方法で、共感に関係しているのは、精神性ではないと、私はこの度、頭の中をまとめてみることにした。
全く関係ないとは思わないが、少なくとも、誰かが他者から共感を得ていると判断する時、それは相手の感情ではなく、相手のアクションや外側に現れるものからそれを判断していると思った。
そしてそれから、共感ってなんなんやろう?と、また思った。