デモ
はんた〜い、はんた〜いと声を上げて、デモをしても、現実的には、デモには何かを変える効果は果てしなく低い。
決定権が持つ人がそれを見て、心を動かされた時だけ効果があるが、そもそも、すでに決められた何かに対して、そこに反対されているわけだから、集まって、はんたいと叫んだところで、どれくらい効果があるか疑わしい。
しかも、反対している内容が、国が決めた内容である場合、この国におけるデモには、ほとんど意味がないと、私は思っている。
私はいつも、集まって行われるデモを見るたび、何を目的に集まるのだろう?と思った。
はっきり言って、選挙の投票率が低いので、国民の意見など、ほとんどどうでもいいだろう。
デモがまだ効果があるのは、投票率の高い国の話だ。
政治家が、「有権者のみなさん」と言うときは、経団連、医師会、労働組合、宗教団体などの団体と、高齢者を指していて、それでほとんど間違いないだろうと思っている。
「国を良くしたい」と誰かが言うとき、そこには、その人なりの良い国が存在するわけで、その人なりにやりたいことがあり、政治家は、その自分が思う良いことややりたいことを応援してくれる人を優先する。
高齢者が優遇され続けてきた数十年、なぜ、高齢者が優遇され続けてきたか、なぜ、働き子育てする世代への施策が生ぬるいのか、文句言うよりは、選挙に行く方がよほど効果はあると思う。
もしも年金制度が違えば、今、国は、毎月給付金を国民に出し続けたのではないかと思う。
給付金を出そうとしないのは、多くの高齢者が年金か生活保護で収入をすでに保証されているからだと思う。
みなの注目が集まる子育て世代と、本当に生きるにやばいくらいのところ、それから、後の施策の関係で潰したくない業界に、少しだけ気持ちばかりにお金を渡しておけば、それですみ、あとは、個人は私権を使う自由を自粛で我慢したことに対しては、国は補償しなかった。
お願いし続け、互いに取り締まるムードをメディアを通じて演出し、外出する人が悪いという雰囲気を生み出させて。
うまい。
医療は自治体がやることだと逃げ続けた。
デモは起きない。
今のお題は、感染症だから。
選挙に行くことは、権利ではない。
義務だ。
義務を放棄して権利を主張する人が多いので、歪みはそこでも生まれている。
デモは権利だ。
デモが認められた権利であることからも、デモに何かを変える力が低いのは明らかだと思う。
熱しにくい国民性を持つ国では特に。
デモの効果は、溜まった怒りを吐きださせて、暴動を防ぐことだと思う。
変えることではないだろう。
また、それは、何に繋がっていくかというと、フランス革命や、今、あっちこっちで起きている内戦や虐殺へと発展する可能性もあるので、怒りで叫ばれる何かで世界が動いていくのが、いいかどうかは、よくわからない。
では、すでに決まった何かを変えるために効果があるのは何だろう?