東京オリンピックにまつわるメタファー
こちらは日本語で。
先日、同じお題で一本、英語で書きました。
なんでしょうかね、この言語を書き分けたい感じ。
フランス語とか、韓国語とか、もっと使える言語が増えたら、内容によって、さらにバラバラの言語になるんかな?
ちなみに、私が、英語で文章を書く時、文法、単語のミスはあまり気にしていません。後から気づいたら修正しています。
その時、表現したい思いが伝わるようにと、それから、少しだけ、韻を気にしています。
韻は英語の美しさのひとつだと思うからです。
さらに、私は気が付きました。
英語力の差は、ネイティブかそうじゃないかだけではないことに。
国語としてそれを習得する人々の英語力の差も激しいことに。
考えてみれば、日本語だって、まあ、そうなのです。
ひどい日本語だな、おい、という文章はいくらでも見ます。
文法がぐちゃぐちゃでも、私は日本語ネイティブなので、理解できます。
つまり、英語ネイティブは、私の英語は多少どうでも理解できます。
今、こう思えるのは、自分の気持ちを伝えるしかなくて、必死に書いた沢山のメールのやりとりの数々とTwitterのおかげです。
そして、私が日本語で書く時と、英語で書く時の最大の差は、無駄話の量です(笑)
ほら、また、前置きで終わってしまう。
「安心安全」という巷を飛び交う四文字熟語の概念的メタファーについて、今から書きます。