私がこの十数年、一番心配してきたこと
この話は初めて書く。
私の周りには、割と勘のいい人が多い。
そして、勘が良くも悪くも、この10年くらい、多くの人が備えているように、私の周りにも、やがて訪れるだろう地震や津波に備えている人は多い。
富士山の噴火を心配している人、地球温暖化を心配している人も多い。
私自身が一番心配してきたのは、戦争に巻き込まれることだ。
戦争に巻き込まれることにOKを出す心理状態が、ニュースメディアを通して、少しずつ作られていっていたことだった。
多いですね、嫌韓、嫌中の人。
激しい嫌韓、嫌中の人たちに共通することは、生身の人との関わりの体験からそう感じているのではなく、彼らの感情の元になっているのが、ニュースということ。
けれど、そこには気がついていないこと。
そして、感情が、論理を構成する元になっていること。
それから、国、という概念が大好きなこと。
ニュースは、世界中にある事実を全て並べて報道しているわけではない。
その中から、報道するに値する、つまり読者が集まり、広告主が集まる題材を集めて主には報道されている。
報道各社は善意の非営利団体ではなく、営利のビジネス団体であるということを、いつも頭の隅っこに置いておく必要がある。
報道記者やジャーナリストは、もちろん使命感があるのだろうが、その多くはサラリーマンで、会社の許可が出たニュースだけが公の媒体に載る。
中国、韓国に関しては、共同でやってきた事業も現実的に多くあるし、歴史問題はその一部に過ぎないのが現実のところだろうと思うが、日本人が読めば、はてなマークが浮かび勝ちで、心底好意を抱きにくくなるニュースばかりが大きく取り扱われてきたこの十数年、私のやばいんちゃうかという感覚は強くなっていった。
いいニュース、好意を感じるニュースもあるはずなんですよ。
けれど、それらは、あまり取り上げられない。
そして、価値観の違いを理解しあおうという流れにはなっていない。
どちらものの国で。
好きになれないようなニュースばかりが、選ばれているような気がした。
私は、そこに、何かの方針を感じていた。
経済面、観光面で、中国とは相当なやりとりがあるに関わらず、ニュースの情報のボリュームが偏っている気がしたからだ。
好意を感じるようなことは報道しないという意思が何かそこにある気がした。
よくプロパガンダや報道統制について言われるが、国民感情を作っていく時に、皆が、あ!と気がついた時には、もう仕事はほぼ終わって仕上げをしている段階だと思う。
アメリカが中国を嫌い戦争をするのと、日本が中国と戦争をするのは、全く異なることが起きる。
全く異なる時間を持ち、全く違う戦後を持つことになる。
アメリカは、ただやってきて帰ればいいだけだ。
国土がボロボロになることもない。
ロシアが上にあるわけでもない。
まだ解決していない前の戦争の名残を抱えているわけでもない。
日本は違う。
けれど、行ったこともない国のこと、本当にはよく知りもしない国のことを、本気で嫌い!という感情の行末にそれが待っているかもしれないということに思いを至らせる人は少ないような気がした。
そこに住んでいるのも、自分たちと同じように、ただの人間で、そこにはいい人も悪い人も、日本にいるように同じようにいるということ。
そして、嫌いだから潰していいという理論は、単なるいじめ理論と同じだということ。
好き嫌いは個人の理由だから、中国、韓国を好きになりましょうとお勧めするつもりはないが、嫌いだから、その国が酷い目にあうのはいいというのは、現代の感覚に照らし合わせると、ちょっとおかしいということ。
そして、何より。
その時、自分の身に起きることをもう少しちゃんと考えてみた方がいいと私は思った。
そして最近、中国の人権問題を欧米の国が騒ぎ始めた。
日本政府は、欧米の国ほどは批判していない。
懸念という表現で止めている。
立地がある、状況もある。
そして、中国とは、好き嫌いはおいといて、現実的に、経済的にズブズブの関係だ。
相互依存度がすごい。
人手も行き来してる。
下手すれば、ようやく終わりかけている戦後がまたやってくる。
コロナが発生した地区の道に土嚢を積んで、人の往来を禁止してみたり、感染者が出たアパートの玄関を木の板で防いでしまったりする政府であるからして、人権意識が西側のそれとは全く違うということは、私も理解している。
やっていることはよしと思わない。
けれど、私は、報道が、なぜ、中国がウイグル地域の取り締まりを始めたか、もっと前のきっかけを報じていたら、日本人は、欧米諸国とは異なる感じ方をするのではないかと思った。
そこは一切報じない。
ウイグル自治区がイスラム教徒が多い地域で、イスラム教徒によるテロが頻発していたということも報じない。
西欧諸国は、同時期、同じ理由で戦争をしている。
なぜ、中東問題が始まったかは、第一次世界大戦まで遡る必要があるが、そこについては、学びましょうという流れにはならない。
それより前を言われたら、西欧諸国は、現在の人権意識だと袋叩きにあうことになる。
アメリカは、建国時を叩かれると痛い。
時代が違いますという言葉で片付けるしかない。
日本も似たり寄ったりで、「人権」という意識は、そんなに新しいものではない。
そして、平和時にのみ機能する。
人権第一に考えるなら、戦争はできません。
歴史ではなく、今日で見るなら、イスラエルとパレスチナを見てみればいい。
明日の自分の国かもしれないから。
日本に、アイアンドームはないけれど。
そして、相手も大国で、日本より軍事力があるかもしれないけれど。
地震、津波、噴火、戦争。
そして、この中に、自分たちの手で避けられるものがたった一つある。
それが戦争だ。
けれど、戦争も、ああいやだ!と思った時には、もう、大きな流れが発生していて、津波のように人を流れに飲み込むから、避けられない。
津波の前で、いやだ、やめてくれ、といくら叫んでも、それは避けられないのと同じだ。
割と気軽に戦争してしまう国が同盟国の場合は尚更だ。
おそらく世界で唯一だろう、ずうっと戦争してる国が、私たちの同盟国だ。
政府のビジネスモデルに組み込まれてんじゃないかと思うくらいだ。この前の4年、戦争を始めなかったのは奇跡だ。
今度の舞台があるとするなら、怖いねえ、世界が平和になるといいねえと言いながら、テレビで見る場所ではない。
今度の舞台は、自分たちが暮らす場所だ。
そこには、アジアの台頭という、第二次世界大戦前と同じ状況がある。
戦争を避ける努力は続けられているようだが、同時に、戦争を始める準備も着々と進んでる。
日本は、アメリカの在庫処分の戦闘機を100兆円分、数年前に購入している。
(これは、新聞では普通に報道されていたが、ネットニュースではほとんど報道されなかった。)
しかもこの無人戦闘機の時代に、有人戦闘機を。
撃ち落とされておしまいやがな。
しかも、その戦闘機、ノウハウがないので、整備は自分たちではできない。
アメリカにお願いするしかない。
話を時代を少し戻して。
朝鮮戦争の時、アメリカが、日本の軍隊を欲しがった。
けれど、日本には、憲法9条があったので、軍隊は作れなかった。
憲法改正は、国会だけではできない。
ちなみに朝鮮戦争は休戦してるだけで、終戦していない。
朝鮮半島は、2つに分かれたままだ。
皆が、自国のことばかりを考える内向きに意識が向かうこの時代、(もう少したったら、別の流れになると思う)、日本だって、自国を守ることを必死に考えてはいると思う。
ただ、政府が思う自国を守るは、領土を守るということで、国民の暮らしや命を守るとは必ずしも一致しない。
暮らしや命を守ることを、どの国の政府も真剣に考えたならば、この世からとっくに戦争は消えているだろうが、現実的にそうではない。
軍事費を別のことに使えば、この世からとっくに飢えも消えてるだろうと思われる。
国を守っても、自分の命や人生が守られなければ、一人一人の人生にはなんの意味もない。
国を守っても、必ずしも家族が守れるわけでもない。
戦後、戦地で亡くなった兵士の家族の多くは、働き手を失い困窮する。
それは、勝った国でも同じことだ。
個人の人生は個人の人生だ。
最近、国民投票法が国会を通過していた。
国民投票で憲法が変えられるところまでは来た。
前にも一度書いたけれど、おそらく、戦争ができるようになっていないとやばい!と誰もが思うタイミングで、憲法改正の国民投票になるのではないかと思う。
そして、今回、メディアでの活動を規制していない。
もう、始まるはずだ。
ああ、憲法を変えた方がいいなあと、どんどん、みんなが感じるようになる流れを生み出すためのテレビ番組、報道特集、メディアのニュース。
国民の自由がここまで保証されているユートピアのような憲法は、この世に、日本国憲法一つしかない。
もちろん古くなっているところもあるだろうけれど、憲法は時代に合わせて変えていくという類のものではなく、細かいところは法律でやれるはずだ。
実際、自衛隊の活動領域については、とっくに憲法の枠をはみ出ている。
他のところもできるはずなのに、わざとしないように、私には見えている。
ね、憲法を変えないと困るでしょ?アピールのために。
今回、コロナの流行の中で、私権が制限できる方がいいなあと思った人も多いかもしれないが、もしも憲法に、国民は国の非常事態には私権を制限して国に協力する義務があるという一文が入ったら、今、給付されてる飲食店への協力金は国や自治体には支払う必要がなかったですから、もしも、私権の制限に関しての条項が入るなら、そこに、補償がセットになっているかはよく見る必要がある。
これは、戦争時でも同じだ。
まあ、戦争後、どこかの国に占領されちゃえば、憲法も変っちゃうわけですけども。
日本はたまたま、なんか夢見た人が、ユートピアみたいな国民に果てしなく有利な憲法をつくっちゃって今があるわけだが、次に日本が占領されることがあるとしたら、その国は、別の国だ。
私の信仰も禁止されちゃうかもしれませんね。
神社仏閣、全部破壊されちゃうかもしれないね。
信仰の自由はないからね。
だから、チベットもウイグルも弾圧されてるわけなのでね。
で、今、私にできることは何?と考えた時、私が思ったのは。
日本国憲法を、テレビの報道番組、ニュース特集、メディアの特集、誰か学者の意見、そういうのを抜きにして、一度、自分でじっくり読んでみるといいと思うということ。
改正案と並べて。
改正案は、ネットで見れる。
ありえないくらいの価値を、憲法9条は持つと、最近、私は再び気がついたのでした。
なかったら、朝鮮戦争とベトナム戦争、イランイラク戦争で、すごくたくさんの人が亡くなってる。
下手すると、そのどこかで父が亡くなっていて、私は生まれていなかったかもしれない。
まあそれでも、領土を攻撃されてしまったら、戦争は始まっちゃうんだけどね。
さあどうかな、中国と韓国は、日本と戦争したいかな?
日本とはやりたくないと思ってるような気がするけどな〜。
チクチク日本の過去の傷をつついて政治的に利用したり、お金を引っ張り出しながら、チョコチョコ牽制し合いながら、ちょっとスパイして色々盗みながら、一緒に発展する方が、儲かるじゃん。
日本に対しては、日本の領土はそのまま、じわじわ日本の利益も手に入れていくのが方針みたいに見えるんだけどな。
さて、どうかな?
考えるなら、今だとおもう。
流れ次第だけど、もう少ししたら、思考はメディアでコントロールされ始めるはず。
そうなったら、普段メディアに不信感を抱いて物事疑ってみてる変わり者以外は、気付きませんよ。
ほんで、私も書くのが危なくなるはず(笑)
そして、危なかったら書かないはず(笑)
家族おりますのでね。国より家族よ!(笑)
私は使命感ないので、危なくなる前に書いておこうと思った。
私がこの十数年、一番心配しているのは、地震でも津波でも噴火でもないということ。
私が一番、やばいなあと思い続けてきたのは、戦争だということ。
どうして、平和ぼけしなかったのかしら、私?(笑)