事実は小説より奇なり
こりゃあ、ダヴィンチ・コードの世界だ!と、オリンピックを、その歴史から調べ倒していく中で、私は思った。
私は自分の思いつきが面白すぎて笑った。
そしてそれから、真面目に戻って、これは大きな裏がありそうだ、あかん、余程でなければやるなと思った。
IOCじゃないと思ったのだ。
小さなお金の話ではなさそうだと思った。数千億、数兆は、どう考えても小さい。
今年の日本の国家予算だけと考えても。
個人の命や人生が大事だという価値観がそもそも無いところに、命の大事さや人生を訴えかけても、あまり意味はあるまい。
だから、今日も書いておこうと思った。
無駄だと思えば思うほど、天邪鬼な心がにやにやし始めるのを感じる。
もはや、いたずらして遊ぶ感じだ。
ヒューマニズムの話だよ、こりゃ、と思ったからだ。
起きて欲しいことが、みなが恐れていることならば、そこにはやめる理由がない。
起きたらラッキーだから。
善と悪とかそういう話ではない。
無邪気に叫ぼう。
それがいい、と、私は思った。
私は、この夏のオリンピック開催には反対!
私が見つけた、これが裏だな!は、サスペンス小説としては面白そうだが、まともに書いたら、私は頭がおかしい人になるので書かない。
私には使命感はないし、ジャーナリストでもない。
ついでに陰謀論は、頭悪そうなので嫌いだ。物語としては面白い。
ほんで、もしもそれが事実なのだとしても、変えれないでしょ、自分では。
まだ、プラスチックごみを減らす努力をする方がましなくらいだ。焼石に水でも。
陰謀論は、騒いでも、何も変えられない。
手が届かない。
ほんで、陰謀は、見る人によって、陰謀だったり陰謀じゃなかったりする。
陰謀だと言い切れるのは、自分が立つ側が正しいという価値観の現れだ。
自分が正義という価値観。
それは、陰謀(とその人が思うもの)を立てている人と何も変わらない。
私は正義は楽しくないので興味がない。
世界はよくなると嬉しいが、正義をふりかざすより、ゴミの分別する方が、まだ世界は変わると私は思う。
私はただ、平和を侮辱すんなと腹を立てているだけだ。
私は、世界より自分の人生が大事だ。
お国などどうでもいい。
所属する国も、自分の人生に不都合なければどこでもいい非国民系だ。
世界平和の達成は、みなが、国のことなどどうでもいい、自分の人生、個人の人生が大事だ!と叫び出した時に達成されると思っているくらいだ。
だから、はんた〜い。
無邪気に反対。
私が見つけたとんでも事実は、どこかで、私に直接会うことがあったら尋ねてもらえば話す(笑)
ハリウッド映画にしたら面白そうだ。
事実は小説より奇なり。