安全

 私の立場表明ははっきりしている。

中止または延期に賛成だ。

理由はたくさんある。


それはおいておいて、私は、オリンピックがここまで反発をくらったのは、政府や組織委員会が、「安心安全」「安全安心」という四字熟語を使ったのも、ひとつの原因ではないかと思っている。


私は初めてそのキャッチフレーズを文字で見た時に、なぜそこに、全、心、という漢字を含む四字熟語を選んだのか、裏で動いているだろう人々のワードセンスに首を傾げた。

それはたまたま登場した熟語であろうはずはなく、イメージ戦略を担当している誰かが、必ずそこにいるはずなので。


安全は、全てが安らかであること。


現在の状況での開催に、全てが安らかであろうはずはなく、リスクは必ず伴う。

話は、そのリスクをどこまで下げられるかと、それは背負いきれるリスクなのか、そういう話のはずなのに、できもしない安全という嘘を使った。


しかも、この国の求める安全レベルは高い。


公園を見てみればいい。

私が幼い頃にあった遊具は、危ないという理由で、その多くが姿を消した。

子供は、子供だけで遊ぶと危ないという理由で、昔なら子供だけで遊んでいただろう年齢の子供たちにも、今は親がついている。

危ないという理由で、公園の木はどんどん切られた。


リスクを伴う安全には、NOを突きつけるのが、この数十年の大きな流れだ。

それがいいかどうかは、私にはわからない。


リスクは見えないだけで

常にあるし、全て排除できるわけでもない。


リスクを背負うに値するものがある時、人はリスクを許容する。

五輪のメリットとしてあげられた希望の光や絆は、首都の医療崩壊、感染収束の延長というリスクを背負うに値しないメリットだと、多くが判断したということだろう。


ふわふわした抽象的なアウトカムではなく、はっきり収支をまとめたものや、置かれた状況の事実を説明してくれれば、同じ中止にしても、ここまで叩かれることはなかったのではないかと思ったりする。


安全安心、希望の光、絆などの抽象的な言葉を使ったことにも反発を招いた原因がある気がする。


でなければ、都市部に住む人はともかく、実際問題、大して、現在、流行病の影響を受けていないし、これからも現実的には影響を受けないだろう人口密度が低い場所に住む、ただオリンピックをテレビで楽しむだけの人々までもが、声を揃えて反対とは言わなかったのではないかと思う。


続く。次は安心。