博打
一番いいのは、そりゃもちろん「開催できること」だと思う。オリンピックね。
そりゃそうでしょう。
そもそも、オリンピックどうでもいい派の私は、オリンピックは開会式だけを見ることが多い。ショーと、世界のいろんな国の人が集まるのを見ると感動する。
私は、スポーツでは、あんまり感動しない。
私は、中学時代に走るのがつまらなくて陸上部をやめた女だ。正しくは、サボってばかりいたからクビになったのだが。
私は、スポーツに夢中になる人に全く共感できない。
正直な話、スポーツを愛する人のある種押し付けがましいところにはうんざりする。
それでも開会式の平和に感動する。
今のところ、国の境界線を超えて世界中の人があんなたくさん一同に集まるイベントはオリンピックだけだから、スポーツってすごいのねとその力は認めている。
今回は、リオ・オリンピックの閉会式で流れた日本のショーにかっこいい!と痺れていたので、東京の本番をとても楽しみにしていた。
2年前までは。
そして今。
話は現実的なことだ。
この夏の開催に反対している人は自分も含めて、割と現実的なところから反対しているように思える。
さざ波でズタズタになる医療体制でもうひと冬頑張らねばならない現実、
間に合わなかったワクチン、さらなる感染爆発に繋がり兼ねない可能性、日本だけではなく世界に迷惑をかける可能性、重症化しているのが高齢者だけではなくなってきている状況、などなど。
私がリサーチしまくった結果、体が伴う現実が、反対の理由であることが多く、そして、目線はすでに秋以降を見ている。
それに対して、主催者側の人達の話は、まず時間が夏で止まっている。
組織委員会は、オリンピックのための集団だからそれでいいだろうが、問題は政府だ。
なぜ、オリンピックで時間が止まる?
なぜ、ワクチンは秋に間に合わないとわかっているのに、秋以降の他の対策を発表しない?
重症者が増えても対応できるように、医師会と交渉したり、機器を扱える人を増やすために研修したり、プレハブの建物を建ててみたり、なんかできそうなことは沢山あるような気がするけれど、何にもやってない。
間に合わないワクチンを、間に合わせるのに必死だ。
間に合わないなら間に合わないで、他の対策を考えたらどないや、と思う。
次の秋は、変異株を抱えて迎えるのだから。
この状況下、やりたいのならば、なぜ、楽観的にのんびり準備してきたのかが、私には理解できない。
登場するのが性善説に伴う対策ばかりで首を傾げる。
全部、人が素直にいうことを聞き、素直に従う、真面目な人ばかりが集まるという前提がある気がする。
人はそうではないから、今、変異株が流行しているのに、何も学んでない感じにイライラする。
精神性は、ウイルス対策にはならない。
希望は感染対策にはならない。
気分の高揚は、人がビール缶片手に集まりたくなる理由になりうる。
また、本当に、精神性のためにオリンピックを開催するとして、ひとりでテレビで静かに観戦するオリンピックは、楽しいかね?
孤独が深まるばかりではないかしら?
綺麗事を並べるのはやめて、ぼちぼち、現実的に対応してもらえないだろうかと、私は思う。
やるならやるで、秋の対策を発表して欲しい。
不可能な希望的観測の幻の対策ではなく、現実的に実行可能な対策を発表して欲しい。
すでにたった数百人の重症者を、日本で二番目の都市は捌けなくなってる。
重症病棟にいるのは、高齢者ばかりじゃない。
ワクチンを打たずに秋を迎える年齢の人が日に日に増えてる。
死んではないが、治療が必要な人たち。
癌の人が手術を延期されたりしてる。
オリンピックをやらんならやらんで、早く決めて欲しい。
政府や役人の人たちも、一年対応し続けてきた後で、みな疲れきって頭が動いていないように見える。
医療従事者の人もくたくだだろう。
疲弊したリーダーの元、おそらく最大の山場になるだろうこの秋から冬にかけてを、祭りで手に入る精神性の充足と、少しばかりのお金は補ってくれるのだろうか?
そして、再び訪れる営業停止に、どれだけのサービス業が耐えられるのだろうか?
そこで発生する損害は、オリンピック中止を選択した時の賠償金より低い見込みなのだろうか?
もう一回、10万円の給付金を全員に出すだけでも13兆円かかるが、賠償金は13兆を超えるのだろうか?
私が一番言いたいのは、こんな時に、お上から与えられる精神性などいらん。
ウイルスに精神性は無力だ。
心を支えていただく必要はない。
政府にしかできないのは、命と暮らしでしょうよと、私は思う。
リーダーならば、自分たちも疲れているということを自覚して、より慎重にリスク回避する方を選べばいいのにと思う。
博打を打つには、条件が悪すぎる。