タイトルは、、メタファー?

最近、私は、メタファーにまみれておりまして。
耳が向くというか。
それは、セッションではなくて、セッションでもやるけど、主に普通のコミュニケーションの会話の中で。

それで気がついたのだけれど、何かを理解するために、メタファーを他人から提案された後、人はそれを理解するために、わざわざ自らのメタファーに置き換える作業をするようになってるみたいなんだな。。。


耳を澄ませば。

例えば、あの人は太陽のような人だ、のように誰もが知っている太陽を例えに使ってるような時でも、そうね、と答えるその人が、太陽のような人ねと返すことはまずなくて。

答えは、明るい人だよね、と概念に戻っていたり、そうそう、ほんとに周りを照らすわよね、と別のメタファーになっていたりする。

似たような意味を持つ、別の言葉で、話す人によりしっくりとくる言葉。
でも、それは、太陽ではない。

だけど、まあ、太陽は誰でも見たことがあるので、まあ、そんなに違いは生まれにくいかもしれない。


私は、メタファーからメタファーへと変換される会話に耳を澄ませ続けた。


そして思った。

これ、難しい。


友人同士や家族、仕事仲間のように、相手のバックグラウンドがある程度わかる時、そのメタファーからメタファーへはずれはそんなに産まないかもしれない、でも、そうでなければ、これは難しい。


ユニバーサルメタファー、元型的なメタファーを使えば多分共通理解はしやすい、おそらくいける、でも、特殊な心象風景を表す個人のメタファーの共通理解は、難しい。

個人が理解することはできる。
自分のメタファーに変えれば、理解できる。

共通理解は、難しい。
個人的な理解しか無理かもしれない。


置き換えられたメタファーから、さらに違うメタファーへと、話が変換され続けていることもしばしばで、変換に変換を重ねたメタファーは、元のメタファーからは遠く離れているように見えたりすることもある。


私自身は、相手のバックグラウンドがわからないときは、日常生活で使う機能がはっきりしている物質をメタファーに使うようにしている。

バックグラウンドがわかれば、その人の生活にあるかな?と思われるもので機能がはっきりしているものを選ぶ。

これは、サラリーマン時代に、後輩を指導するときに覚えた。
メタファーという単語は知らなかったけれど。

その頃よく、意味がわかりません、とか、別の言葉で簡単に説明してくれ、とか言われたからだ。



ともあれ、自分の興味は、聞き方から話し方に移っているような気配があるな、と少し感じた。

揉め事のほとんどは、聞き方からは生まれない。

起きた問題を解決するサポートには、聞き方が必要だけれども、問題を未然に防ぐサポートには、話し方、表現の仕方の方が大きく関わる。

問題は、起きてから解決しなければいけないというものでもない。

起こさない、という選択肢だってある。

メタファーのせいで、話が遅い、理解が遅い、そこはメタファーじゃなくていこうぜということもある。


現在、メタファーはどのように絡むか?というのが、観察対象。

いつでも、観察から始まる。。。