行動、発想、思考のバランスの変化

昨日の続きみたいな感じ。

さてはて、私はそういうわけで考えるのが好きだが、人が評価するのは、必ずしも私の思考力ではない。

だいたいの場合、おほめに預かるのは、発想力と行動力だ。
発想力と思考力はまた違う。

本人は、体力がないという事実と生きているので、大して行動している意識がないため、行動力を評価される時、いつも不思議な気持ちになる。


私の思考力は、どう考えても後天的に身につけている。
考えるのが好きになったのも、脳が成長し、少し賢くなり始めた年齢以降だ。

それまでの私は、考えないで動くことでしょっちゅう怒られていたので間違いない。
ともかく動くというか、思いついたらじっとできなかった。
考えてから動きなさい!じっとしてなさい!と頻繁に言われた記憶がある。

なぜ?という疑問は小さな頃から抱き続けていたが、それを考える脳はなかった。
なぜ雲は形を変えるの?と思っても、理屈をたどるのではなく、一日中、ベランダで雲を眺め観察しているタイプだった。
座布団をひいてベランダに座り込み、一日上を見上げてスケッチして、首が疲れた記憶とともに、あの日感じた不思議な気持ちだけは覚えている。

私はなぜ?と思えば、ひたすら観察した。調べるという発想はなかった。
絵本は大好きだったが、本となぜ?が結びつくということに気がついたのは、インターネットの登場後だ。
(私のなぜ?は、義務教育には入っていない類のなぜ?が多かった)


やがて、考え出した私の動きは、少し鈍った。
完全に止まった時期もある。

考える、と、動く、のバランスの取り方が脳がわからなくなったのだろう。
遊ぶ、ことに関してだけは、考えなしに動き続けられた。
小さな頃から知っている思考パターンで、うまくいくからだったろう。
どうすれば、それがより楽しくなるかの発想力も、誰が私に教えたわけでもない。

そのバランスは、最近ようやくうまくいきはじめたくらいな感じすらする。


話は飛ぶけれど、私の体は、女性ホルモンの影響から解放されていくだろう年齢に差し掛かり始めている。

体の中から女性ホルモンが減少するということは、考え始めた以前の年齢に近くなるということだろうか?と少し思った。

それは、私を少しワクワクさせた。

新しい状態が、また、生まれるということか?と。


行動と発想、思考のバランスは、どのように変化していくだろう?