直接知覚を鍛えるの巻

デッサンを理屈で語ってくれているデッサンの本を読みながら、鉛筆1本で絵をちまちま描くこと3日。

読み始めてから気がついたけれど、この本は、デッサンがうまくなることを目的としてはおらず、デッサンがうまくなることで、新しい見え方、直接知覚を鍛えることが目的だったらしい。


私を見て、夫が、普段と逆だね、と言った。
「普段は言語化にこだわる人が、言語化しない努力をしている。」


初日、作業し始めると、脳のどこかが痛みはじめた。
ああ、普段、そこを使ってないのか、とぼんやり思った。
そこを鍛えるんだな。

私が脳に詳しければ、部位が言えるが、言えない。

ただ、クリーンランゲージを学習しはじめた初期、似たような経験をした。
その時、痛みを感じたのは別の場所だったから、言葉からイメージを作るときに使う場所と、いきなりイメージのときに使う脳の場所は違うんだなということだけわかった。

間接知覚と直接知覚の違い。


そして、線を早く描いたり、遅く描いたり、逆さまになっている絵の模写をした。
逆さまになっている絵の模写は、何を模写しているかよく分からなかった。
出来上がった後、ひっくり返して、本の絵と自分の絵を比べたら、私が描いたとは思えない上手さで人を描けていたことにびっくりした。

理解しようとする気持ち、言語化が、直接知覚の邪魔をする、モードを切り替える必要があるという意味がわかった。


クリーンランゲージは、言葉だが、ちょっと似てると思った。
ファシリテーターが、クライアントの言葉の意味を理解しようとしはじめるとき、クリーンランゲージは、クリーンじゃなくなる。
普段、そんな話の聞き方はしないから、これは、最初、非常に努力が必要だ。


クリーンランゲージのセッションのこつを説明する人は、絵を描くように、というフレーズをたまに使うが、ああ、これだな、となんとなく思った。


2日目。
私ははしゃぎながら課題をこなした。

脳はもう痛くならなくて、はしゃぐ感覚だけが強くなった。


3日目。
初日に模写したのと同じ絵をもう一度模写してみた。

それは、ちょっと見て!と夫に自慢しに行った成長ぶりを遂げていた。
3日で。

ちなみに夫は、幼稚園の時には、私が高校生の時に描いた絵より上手な絵を描いていたので、絵については信頼がおける。

いつもは、私の絵を、どうやればそう描けるのかと鼻で笑う人が、その模写はほめた。

ちなみに、彼は、見たものを見たまま作る仕事をしていて、直接知覚の能力は高いのだと推測される。
平面の図面から、立体的な建物が見えるとは正気の沙汰じゃないと私は思うが、それは見えるのだという。


本は、まだ半分残っている。
残りが楽しみだ。